それは突然のことだった。
敷地内に、か弱い子猫の鳴き声。
なかなか姿がわからず、出来るだけその声に近づいてみると・・
茶トラの生後いくばくもない子猫がそこに。
よく見れば左眼が開いていない。
右眼も半分塞がっている。
手がどうしても届かない場所。
何もしてあげられない。
ミヤミヤと強い強い鳴き声。
何かを訴えている。
しかし、あまりの突然で、
手の届かない場所で、
何をすべきかも分からない。
それから5時間。
その声は泣き止まない。
ただただどうしてあげたらよいのかを葛藤する。
ふと、初めて泣き止んだ。
しばらく声が途切れる。
何かあったのだろうか。
バルコニーから恐る恐る確かめてみる。
すると、暗闇のなかふらふら今までいた場所を離れ始めた。
しかも、激しい車の往来の中へ。
そのとき迷いを吹っ切り、家から夢中で娘と子猫を追いかけた。
どうか轢かれることがないように。間に合ってくれ、と。
間一髪、難を逃れ渡り切ってくれた。
そして道路向こうの空き家の草むらへ。
見ると、あれから目やにが増し、とうとう両目とも塞がってしまっている。
一目散に家を飛び出しはしたものの、どうすればいいんだ。
見上げるとそこには月が。
この月に語りかけてみる。
もちろん月は何も答えない。
ミヤミヤミヤ。
子猫は依然泣き止まない。
10分、いや20分だろうか。
囁くように子猫に語りかけた。
大丈夫だよ、と。
そして「いいんだよね」と娘。
一つだけ頷く私。
とてもとても小さな身体を、
彼女が草むらから取り上げた。
小さい。柔らかい。
軽く震えている。
同時にもう一度心の葛藤が。
もしも、ずっとこの子の目が開かないとしたら・・
そして、先住の猫たちとの生活は?
命を引き取ることは簡単ではない。
無論、経済的負担、生活上の負担も増える。
その覚悟が私たちにあるのかを自問自答する。
もう一度、夜空の月を見た。
そしてこう心の呟きをした。
「果たして正しい行動かはわからない。
しかし、これが運命なら定めに従おう」
月は先程より大きく、強く光った。
そんな気がした。
ケージで貪り食うように柔らかいごはんを食べ、そして水を飲んだ。
ミヤミヤ泣く声が収まった。
奥さんが膝に抱きタオルで包んであげ、
娘が優しくたっぷり水を含ませた布で優しく目を拭いてあげる。
何度も、ゆっくり。
すると溜まっていた目やにが取れ、一つずつゆっくり目が開いた。
かなり腫れてはいるが、とりあえずホッとした。
もう大きな鳴き声でミヤミヤは言わない。
安心した小さな声で、たまにクーンというだけ。
やっと震えも止まる。
私も優しく撫でてあげだ。
疲れたんだろう。スヤスヤ眠り始めた。
とてもふわふわしている
茶トラは8割オスだという。
今晩は急場凌ぎの簡易ケージを作って、そこにいてもらうしかない。
柔らかいフードをあげ、少し撫でたら初めてゴロゴロ言った。
心開いてくれたのだろうか。
目やには猫風邪によるものかもしれない。
何度かくしゃみもしている。
だから先住の猫たちとはまだ会わせていない。
私の部屋にいて、私のそばで寝ている。
まずは動物病院へ。
そのあとはまた家族会議だ。
家族の中には住まわすことに反対の者もいる。
至極全うな考え方だ。
里親へ出すまで、ということも考えなければいけない。
ひとつだけ確信しているのは、目が見えなかったあのとき、
車道の往来へ飛び出したあと、
ただただ走って追いかけて、無事でいてくれたあの安堵だけは間違いではなかったはずだ。
空はしらっちゃけてきた。
スヤスヤ寝息をたてている。
全てを見守ってくれたお月様は沈み、
明日という日は始まった。