クリスマスが母の命日。
特別なことはしません。
しませんが、一生懸命に思い出すようにします。
一生涯働き詰めで身体を酷使し、
数々の病気と闘いながら、最期は肝臓がんに冒され、閑かに息を引き取りました。
まさにクリスマスの夜に。
もう30数年前、私は25歳でした。
あれは、中学生の林間学校の帰りのこと、
駅に兄が迎えに来てくれて、なぜか車で遠回りをしながら、
「実はな、お母さんが血を吐いて倒れた」
と告げられました。
あの時の、身体から全ての気が抜けていくような感覚は未だに忘れられません。
貯めたお小遣いで買って帰ってきたお土産で喜ばそうとしてたのに。
退院後、療養もせずまたもや毎日毎日働く姿を見て、
まず何がなんでも負担の軽い公立高校へ行くと決め、そして大学受験も、大学の費用も自分で払うと誓いました。
少しでも苦労をさせたくなかったので。
もちろんそれは実行しました。
私が社会人になった時、やっと仕事から離れることが出来、
それまで我慢に我慢を重ねた趣味=三味線をようやくできるようになりました。
人生の末期になり、やっと人並みな毎日に戻れたのかもしれません。
それから3年後、私の結婚式を見届けた翌年に天に旅立ちました。
あの仕事への執念というか、自分を犠牲にしてまでも家族を守ろうとした血は、私にも少しだけ流れています。
あまり褒められたことではないかもしれません。
ただそれは理屈ではないのですよね。
母が亡くなった歳に近くなり、
最近頭によぎるようになったのは、
人生は案外儚いものだということ。
実は私の奥さんと知り合ったのは彼女が19歳だった時からで、
成人式の時には着物で家まで来てくれ、その時の母は普段見せぬ表情で本当に嬉しそうにしてくれました。
兄、私と男二人を育て、娘の存在がなかったからでしょう。
あまり親孝行が出来た記憶がない中、あれは少し叶った瞬間でした。
この画像の、今はもう朽ち果てた家は、私の実家です。
この家の玄関で撮ったその時の母と振袖の奥さんの写真が1枚だけあります。
今や一生涯の宝物です。
私が愛した二人の女性が一つの写真に収まった唯一のものだから。