「珍來」の名前を聞いてある一定以上の郷愁を覚えたり、
郷愁どころか現在進行形でシンパシーがある方が、
東京東部、埼玉東部、千葉県、茨城県には多数いらっしゃるはず。
私は東京東部の下町で育った関係上「珍來」がない生活は考えられなかったくらいです。
ファミレスという名前の浸透以前のその概念は間違いなく「珍來」を指すもので、
街に一つ、街道増の要所のどこかに必ずある存在でした。
ところがこの「珍來」グループは非常にわかりづらい構成になっていて、
正確にはすべての「珍來」が同一の家柄でなく直系、傍系、その説明が難しいのです。
茨城県の「手打ちラーメン珍來 つくば松代店」
どうもこれぞ直系の一つ、そしてラーメン新激戦区のつくばにあって、
そういう新興勢力に負けない大人気店。
地元の方からは「松ちん」or「ちん松」(笑)と愛情込めて呼ばれているそうです。
▼ 参考サイト 珍来総本店 三代目社長・清水秀逸氏インタビュー ▼
いかにも筑波学園都市の道路ですね。
その「松代T字路」にあるのが「手打ちラーメン珍來 つくば松代店」
「創業八十年 伝承ラーメン」※創業1928年なのですでに今や90年超。
これを看板で掲げているところを始めて見ました。
珍來の内装はどことなく統一されているようなそうでないような、
でも「珍來」だなとやはり感じる不思議。
「珍來 」と「珍来」この一文字違いもいろいろとあるみたいです。
「珍來のラーメンは日本のラーメンの基本」
これ、珍來を知っている人なら実に納得。
珍來のミソラーメンは独特のファンがいますね。
私もかなり好きな方でした。
この「辛味」あたりは相当後になって、
平成の激辛ブーム以降に現れた括りでしょう。
そして、珍來の虜になってしまう理由のひとつが「チャーハン」。
チャーハンの原型を珍來で刷り込まれてという人は相当な数がいるはず。
全く同様なのが「餃子」。
珍來の餃子で育った人は、正直どこへ行っても不満が残ってしまうのでは。
「珍來の餃子に比べたら・・」と。
少人数の小上がりはローカル珍來 によく見ますね。
今考えればコロナ対策にバッチリ。
この半オープンキッチンであるのも珍來の持ち味。
カンコンカンコンが美味しさを増してくれます。
そして・・・多少待たされるのも珍來かな(笑)
チャーハン。
面白いのはラーメン以上にチャーハンは各店で出来上がりの姿が違って、
その店任せになっているの傾向があります。
この松代店は火を長めに通したけっこうハード系。
パラパラでもないし、ベチャーハンでもない。
餃子。
珍來の珍來たる餃子であるのはこの大きさゆえ。
餃子の王将から見たら1.5倍くらいかな。
きれいな小麦色。
なんと整然としていることよ。
この大きさにして焼き崩れない。
それは皮がハードなことに由来するのでしょう。
このラー油としょう油と酢を混ぜ合わせるのって、
もしかしたら珍來で覚えたことだったのかも。
思い出してみると、餃子はけっしてどこでもいつでも食べれる存在というわけではなかったし。
やはりハード系。
砂のようにパラリと崩れたわけではなく、山を切り開くような感じ。
水分も多く飛んでいるので噛み応えあり。
味もしっかり入っています。
こう言うと褒めていない感じでいけませんが、高級冷凍チャーハン(笑)
コマーシャルのモデルになるようなチャーハンです。
このスープは間違いなくラーメンの、あの煮干系の香りが立つもの。
今の時代の魚介系とはちょっと違います。
ひと口で頬張れない大きさで、
噛むと弾力で押し返す皮の厚さを実感。
決してジューシーではないけど、たっぷりすぎる餡のこの食べ応え。
これですよね、この「食べ応え」こそ珍來の餃子たる由縁。
まさに地元のためのファミレス。
大人気。
またここに来る家族の人達の「標準」として刷り込まれていくのでしょう。
私も珍來に関してはとても興味があり調べたいことが山ほどあるのですが、
以下のサイトにほぼほぼ「珍来」に関することが記述されています。
茨城には「茨珍」と称されるグループもあり、
そこにも一度は行ってみたいですね。
ちなみに私が珍来(珍來)として最も訪問回数が多かったのは、
総本山的な八潮、開祖的な五反野、梅島、竹ノ塚、
千葉に引っ越してからは八千代と津田沼(どちらも、のちに福一へ改名、そして閉店)でした。
今は近辺になく残念です。
さて、つくば。
なんだかんだで新しかった学園都市も長い歴史の地方都市になりましたね。
天一もある。
そして茨城といえば山岡家。
つくばがこうなったなんて本当に知らなかった。。。。