(画像:千葉市花見川区 福星軒の冷やし中華)
千葉のラーメンブロガー(ラーメンフリーク)といえば、一般人ではない山路力哉さんを別にして、
このお二人が二大巨頭ということになるのでしょうね。
もちろん他にも著名な方がいらっしゃいますが、
このお二人からはラーメンだけではなく「千葉(房総)」を大事にされていることを特に強く感じます。
さてそんなお二人が ”束の間” この夏に繰り広げたのが「冷やし中華(冷やしラーメン)論争」
keiさんがある記事で問題提起を掲げたことから、らんちばさんがそれに応戦、その後互いにブログ上の舌戦を展開。
「冷やし中華」「冷やしラーメン」「つけ麺」といった ”夏の冷たい中華そば” を介しながら
お二人の考察をぶつけ合ったものです。
らんちばさんは、僕に対し「原理主義的で頭がちょっとお堅いのではないでしょうか」と問うてきました。これに対し、僕は、「冷やし中華にも歴史的な文脈があり、定義もある程度存在する。それを無視して、冷やし中華を語ることはゆるされるのか?」、と応じたいと思います。冷たい麺料理なら何でも「冷やし中華」になる、と考えるのは、それこそ「思考停止」ではないでしょうか?「冷やし中華」がある程度「観念」をもつ概念であるなら、その観念に対しては、最大の配慮をすべきではないでしょうか?
kei氏はつけ麺こそラーメン店が夏のメニューとして開発されるべきだとおっしゃっています。そうだとしましょう。そう考えたときに、理想形のつけ麺とは、現在主流の麺が冷たくてつけ汁は温かいものより、麺もつけ汁も冷たいものではないでしょうか?そうだとしますと、つけ麺とは、甘辛酸の冷たいスープに、冷たい麺をつけて食べるもの。が、基本形になるのではないでしょうか?あれ?これって、要は冷やし中華ですよね。冷やし中華の範疇に入りますよね?
丁々発止とはまさにこれ。
おもしろかったのは「冷やし中華とは何ぞや」だけの論争ではなく、
中華料理店、ラーメン店、それぞれの文化、進化論に触れられていたこと。
ここ重要な気がしました。
そこに読み取れるのは・・・
お二人はラーメンが好きという以上に、ラーメン(を出してくれる)店(店主たち)が好き過ぎる、
そのように見えるのです。
私はこのお二人には到底及ばなく、ブログに掲載したのは全国100店超くらいなものですから、
キャンプブロガーは名乗れても「ラーメン・・」というのは絶対に無理(笑)
それなりには廻っても、お二人のような精力的なアクションはとてもとてもできてはいません。
振り返れば中学校からラーメン食べ歩きをしているので、いわゆる「歴」だけは長いかもしれませんが(一生単位でいえば1000店分は行っているかも)。
本題に戻すと、
この論争の本質は、誰が、どういう思いで、冷やし中華を提供しようとしてきたのか、
夏の冷たいラーメン、あるいはラーメンの形を変えたもの(つけ麺)を作ろうとしてきたか、
その飲食のクリエーションを、互いの視点で論争を繰り広げた、そのように映りました。
つまり一見表面上は論争に見えるけれど、
実は互いに繰り出す「冷やし中華、冷やしラーメン、つけ麺を出すお店」賛歌じゃないのかと思うのです。
合っているのか、合っていないのかはわかりません。
このお二人のブログをご覧になった方ならわかると思いますが、
お二人は同胞であって、敵対関係は一切ないし、この論争の後もお二人で房総のラーメン店を巡っています(笑)
なので、何かの結論にも至っていないし、結論付けることも特にはされないでしょう。
最初に "束の間” と使ったのはそのためです。
お二人とはもちろん面識はありません。
でも、なんかこの先いつかふとどこかで出逢ってしまうような気もします。
keiさんには幾本かの記事を引用をしてもらったりはしているので、すでに完全無関係でもなさそうです。
ブログの書き口で言うと、
keiさんは「ラーメンフリーク」、らんちばさんは「ラーメンブロガー」ほんのちょっと傾向が違うような気がします。
私はどちらかと言えばkeiさん的思考かなぁ。
keiさん、らんちばさん、そもそも何のゆかりのない私がごちゃごちゃと妄想してすみません。
非礼どうかお許しください。
これからも興味深い記事を楽しみにしております。
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