志村けんさんがご逝去されました。
全く縁のないような私でも、一度だけお会いした(食事をする)機会がありました。
もちろんそれは偶然で、その一度きり。
残っていた写真を見るとそれは2005年の冬。
私のとても好きだった港区のお店に、その日フラッと入ってこられました。
テレビ収録の後だったようです。
実はそのお店をひいきにされている女優さんがいらして、その方に呼び出されての来店だったようです。
その女優Kさんとはよく一緒になることが多く、大変仲よくさせていただいており、
この日、「これから面白い人がくるよ」と普段はないちょっと意味深な発言。
そしていきなり志村さんが登場。
それはもう大御所の突然の来訪にぶったまげたというのが正直な印象です。
ただ、あまりにも普通、いや普通過ぎる感じの登場で、むしろ影が薄い感じの静かな印象が意外でした。
「どうも、待たせたね」こんな一言で入ってこられたという記憶があります。
その後テーブルを共にさせていただき1時間くらいだったでしょうか。
お静かでした。とてもお静かでした。
特におつまみに手を出すことなく、ニコニコされながらグラスを傾けるか、煙草をふかすだけ。
Kさんとのお話をお邪魔してもいけないので先にお店を出ることにし、
帰り際にお写真を一緒に撮らせていただきました。
その写真の公開は控えますが、1枚目にある写真はその時のお店のものです。
この斜め下の位置で、まさに「チビチビ」やられていました。
世界が違い過ぎるので、まともにかわせる話題なんかは持ち合わせていなく、
ただ一つだけ会話が成立したのが「東村山」の話。
ほんの一時期、新婚時代を生活したのが東村山の久米川というところ。
これは昨年写したもの。すっかり風景が変わってしまいました。
「ああ、そう、久米川に住んでたの。打ちっ放しがあったよね?」
なんていうことを言っていただいたのをかすかに覚えています。
あとは何を話したのかほとんど覚えていません。
一方的にしゃべるKさんの話をとにかくニコニコ聴いている姿、それだけを覚えています。
もちろん、ドリフは観ていました。
けれど、志村さんの登場のころから少しずつ離れていったのも事実。
なんだろう、ちょっと大人になりかけて、もう子供っぽいもの卒業しようと思っていたからだと思います。
むしろ年齢を重ねて、深夜の枯れた感じの番組をされていた時の方が好きでした。
「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです。皆さんも身近に感じて、気を付けてくださるようお願い致します」(加藤茶)
ここからご紹介するものは、そんな枯れた感じになってからの志村けんさん。
坂崎幸之助&吉田拓郎オールナイトニッポンGOLDに以前出演された時の、数少ないゲスト側での話。
お会いした時とほぼ同じの素顔な感じで、
その人柄とともに、志村さん自身の声で故人の半生を偲ばれます。
国民的な約束事「最初はグー」は志村けんさんが考え出したもの
志村けんさんの幼少時代。コメディアンになろうと思ったキッカケ。東村山の風景。
バカバカしい、まさに飲み屋バナシ。
ビートルズ大好きな志村けん。
芸名「けん」の由来。ドリフへ入るきっかけの話。ボーヤ時代の貴重な話。
結婚願望。
志村けんさんのお酒。
吉田拓郎が熱く語るドリフのコント。
最後に、志村さんのこんな言葉を。
「誰もが思いつきそうなことを、人より鼻の差ぐらい先を見越して、現実化すればいいんだ。「鼻の差ぐらい」がポイント。それ以上先でも、それ以下でもダメ」
「やっぱり子供たちにバカだと思われているのはいい。お笑いをやってて、子供にまで「あれは芝居してるんだよ」なんて言われたら、みっともない。バカだと思われてるってことは、そう「見える」ってことだから、演じてる者にとっては一番うれしい誉め言葉だ」
心よりご冥福をお祈りいたします。