こちらは私が以前撮った同アングルの画像です。
この河川のサイトが全て濁流にのまれてしまったことが見てとれると思います。
1日過ぎての様子なのでもっと尋常じゃなかったでしょう。
普段は膝にも届かない浅い河川です。
台風が去った後の画像ではあれ、雨量600mm近くはこうなるということが分かります。
被災をされたキャンプ場様各位に心からお見舞い申し上げます。
1日も早い復旧を祈ります。
そして、各地の被害で尊い命を失われてしまった方のご冥福をお祈り申し上げます。
巴川オートキャンプ場の「リバーサイト」
特別な思いがこもった場所です。
なぜならこのサイトは私の一言から生まれたサイトだからです。
巴川オートキャンプ場に初めて訪れたのは今から7年前。
なんと驚きの74歳(当時)の仲良し同級生3人が一念発起して作り上げたキャンプ場でした。
キャンプ場は荒川の蛇行に囲まれ、目のまえに古代の地層も見られる秩父らしい場所にあります。
開設当時は高台のサイトだけで、川沿いに広い場所があったもののそれは手が付けられていない河原でした。
「オーナー、どうしてかわからないけど、この川沿いにいいキャンプサイトがある風景が思い浮かんでしまいました」
「SAMさん!あの河原に。そうかい。」
「はい、そうですね、リバーサイトなんて名付けたらいいですすかね」
「SAMさん!そうかい。わかった!」
この時の「わかった」というオーナーの言葉は正直何を意味してるのか分からず、
当たり前ですけどそんな一言で何かが起こるなんて思いもよりませんでした。
そして冬のキャンプ場のお休みを経て翌春の或る日、オーナーから一本の電話が。
「SAMさん!作ったよ。リバーサイトを」
その時の驚きというか、ちょっと膝が震えるような感覚は今でもはっきり覚えています。
「ほんとうですか!!マジですか!」
「ああ、マジ。だってSAMさんが作れって言ったじゃない(笑)3人でね、やっちゃったよ」
当然私の一言ですべてがそうなったなんてないでしょうが、
それでもその一端を作ったことにはめちゃくちゃ責務をその時に感じました。
元の草っぱらがしっかりと整地され、そして砂が入りフラットに。
リバーサイト誕生。
開設後はむしろリバーサイトから埋まるくらいの人気ぶりで、
さらにはオーナーたちの着実なる努力が結実し、
現在に至り土日は常に満員、連休や夏休み中はキャンパーさんで全サイトがあふれかえる人気のキャンプ場になっています。
もちろん私もこのリバーサイトでキャンプをしています。
なんというか、言い出しっぺの特別な感慨をもって。
そしてある日、オーナーがふと言われた言葉は忘れようがありません。
「SAMさん、運命っていうのがあるね。SAMさんと会ったのも運命だし、リバーサイトができたのもそうだよ。
オレがキャンプ場をやろうって思ったのも運命なんだね。
でもね、運命ってそのまんまだとみんな過去になるのさ。
だから、その運命に出逢ったとき、それをどうしていくかが全てじゃないかな。
いいも、わるいも。」
ドキッとしました。
運命ですべてを片付けるのではなく、その運命をカタチにするかしないか、それが自分に託されているのだと。
19号通過のあと、戸塚オーナーと連絡を取らせていただきました。
「そりゃすごかったよ。見たことがない増水だったからね、ダムも放水をしながらだったけど、これじゃどうしようもなかったね」
戸塚さんは元々大手土木にいらしてダムや河川のプロ中のプロ。
そのプロをしてもこのような降水と増水は未曽有だとのこと。
私が口を滑らせてしまったがゆえ開設に至ったリバーサイト。
それが被害の対象となってしまった今回。
何かとても責任を感じてしまいました。
「あんなことを言ってしまったことがこういうことになってしまって、なんと言っていいか・・」
「ははは!何言ってるの。バカ言っちゃ困るよ。こういうことは逆らえないもんだ。
やってよかったにきまってる、リバーサイトはすごく人気になって大正解だったんだから。
SAMさん!確かにリバーサイト全部なくなっちゃったけど、これで終わったわけじゃない。
来年の3月くらいまでにはもう1度作るよ!
もうオレは動けないけど、若いやつにやらせるから。まぁ、現場監督だな!ワハハ!」
「避難勧告で老人は避難しろっていうから行ったさ。老人扱いはアタマきたけどね(笑)まぁ、オレも80過ぎてるからね。仕方ないやね(笑)」