名店中の名店「新潟ラーメン 蓬莱軒」が、
惜しまれつつ25年の歴史に幕を閉じました。
その地域で美味しいお店、その地域をはるかに超えた美味しいお店、
「蓬莱軒」はインド料理「シタール」とともに間違いなく後者でした。
つまり、全国レベルでの名店中の名店でといって過言ではないでしょう。
素晴らしい完成度のラーメンを長年にわたり供してくれました。
これだけの名店にもかかわらず規模を大きくするわけでも、のれん分けするでもない、
ずっと何も変わらない街のラーメン屋さんのままでした。
シタールの方は規模こそ大きくしていないものの、さすがに最近改装しています。
しかし蓬莱軒は四半世紀何も変わらず。
私が千葉に移住してきたのがまさに四半世紀ちょっと前。
その頃もこの看板、この暖簾。
蓬莱軒のラーメンがいかに素晴らしいか、2回にわたってここでも書いています。
しかもその内容が最後まで全く同じに当てはまるのはまさに何も変わらずにいた証拠。
私が閉店前最後に訪問できたのは5月某日。
その時も地元のお客さんがほとんど。
若い人からお年寄りまで。
特にはラーメン通、ラーメングルメは見当たりません。
この日は央ぶりに「チャーシュー麺」にしました。
人気があった湯麺、味噌湯麺はこの時すでにやめておられました。
実はこれを見て「もしかしたら・・」と思ったわけです。
もう鍋を振るのが厳しく、そろそろ引退されるのではないかと。
奥様が厨房に入り、旦那様がお店を仕切る。
これも変わらず。それゆえ余計に「もしかしたら」と。
ああ、変わらないこの琥珀色=アンバースープ。
これがもう見れなくなるなんて。
さりげなくも美しい配置。
気が付かなかったというより、気にしていなかったからかもしれませんが、
チャーシュー麺のチャーシューは、ラーメンのチャーシューと違ったんだ。。。
チャーシュー麺ではバラチャーシューが使われていて、
それで時々「売り切れ」となっていたのですね。
こちらはラーメン。
アンバースープと極細麺。
これからどこにこれを求めればいいのだろうか・・
「濃厚魚介系とんこつ」とかがバカバカしくなってしまうほどの美しいスープ。
大きいバラチャーシューは滋味たっぷり。
たいていのバラチャーシューは粗野なものが多いのですが、
蓬莱軒のは舌の上でとろけながら淡雪のように消え去る特上のチャーシュー。
この満足感、余人をもって代えがたし。
蓬莱軒を失っての喪失感はおそらく日に日に増していくのでしょう。
この風景で誕生し、この風景のまま歴史を閉じる。
タンメン。
最後に食したのは3年くらい前かも。
もっといただけばよかった。
あの透き通ったアンバースープが炒め野菜の香りとエキスと相まって、
全く新たなスープに変化し。
素晴らしく美味しい湯麺でしたね。
ラーメンとチャーハン。
家族で蓬莱軒に来るときは必ず2セット以上これ。
よくできたチャーハンでした。
今思うと、近くにあることでいつでも食べれるという油断に悔いが残ります。
もっともっとこのチャーハンに接するべきだった。
味噌湯麺。
湯麺以上に存在感があり、固定ファンが多かったはず。
傑作でした。
無性にすすりたい。
しかしもうそれはかなわない。
「ああ、おいしかった お客様の輝く笑顔 それが私の歓び 私の生きがい」
この蓬莱軒の真からの魅力、
それは「必要とする人だけに必要とされた」
だからここから動くことも店を広げることもなかった。
そんな気がするのです。
夜も営業していたころが懐かしい。
※この写真は2004年
壁にかかっていた、当時の川渕キャプテンのサイン。
近くの東大グランドは日本代表の練習所だったからです。
あのカズもいたわけです。
カズが代表で最も活躍したころが25歳前後。
まさしく蓬莱軒の歴史とシンクロしてるとしたら、カズのすごさが分かろうというもの。
たくさんの美味しいを本当にありがとうございました。
蓬莱軒の「蓬莱」は理想郷の意味があります。
新検見川の地にあった理想郷はもう夢の世界へ。
おつかれ様でした。