町田。
今や東京の一大衛星都市。すごい発展です。
私が初めてこの地に来たのは今から32年前。
それまで一度たりともこの地に足を踏み入れたことはなく、
まさかここで1年近く働くなんてその時は夢にも思ってもいませんでした。
その32年前にもあった「ラーメンと餃子の店 水岡」
ただ、正直そんなには記憶がないのです。
お店のすぐ先、そこが仕事の拠点。
当時「まちだ東急百貨店」
現在はツインズ。
ここにアパレルの営業としてほぼ毎日いました。
水曜定休以外は間違いなくいました。
いや、その水曜日でもいたはずです。
そういう時代でしたから。
今でこそツインズですが、右側は当時ゴルフを中心にした「スポーツ館」でした。
そもそもこの通路の下が道路になっていることに驚いています。
記憶が合っていればここに道などなく、確か広場のような場所だったはずです。
余りの懐かしさに渡ってしまいました。
こういうところでなにがしかの記憶がグッと蘇ります。
4階。
この場所。当時の紳士服売り場。
ここに某ブランドのショップを作ったんですね。
郊外店ではありえないくらいの大ショップ。
それはもう新入社員の仕事内容とはいえず、
あまりの大変さに頭が変になりかけたくらいです。
しかも、その当時私は東京のはずれ、ほぼ埼玉県最寄りの場所に住んでいたので、
ここまでの通勤は2時間半。
つまり開店前の9時に来るには7時前に家を出て、帰るのは毎日0時過ぎ、
睡眠は5時間を切り、休みも週1を取れないような状態。
最後のころにはもうどうしようもなく販売員さんの家に居候したり、
哀れに思ってくれたなんとライバル会社の営業さんがよく家に泊めてくれたことで何とか凌いでいた、
そんな苦々しい思い出の10か月。
その後、あることがきっかけで入院することになり、
会社もそのままにしていられないと判断してくれさすがに異動を決断。
そして渋谷の店舗に担当を鞍替え。
実はその店舗こそ、今の奥さんが社員として働いていたお店です。
人生、何がどう転がってどうなるか分からないものです。
私の人生の実感は、
「禍福は糾える縄の如し」
この町田に来た時からその実感が始まったような気がしています。
この階段でよく泣いていたわけです。
いや、冗談ではなくほんとに(笑)
よく当時のアパレル営業マンは、自分の担当の店の周りの喫茶店で毎日プカプカタバコをふかしているなんてよく言われていました。
私に限ってはそんなことはなく、だいたいそういう余裕がまずほとんどありませんでした。
だからお昼のランチタイムなんていうものを満喫したこともほとんどなく、
とにかく早く食べれて、早く出れる場所ばかりで昼食を採っていましたね。
水岡も確かにその一つであったとは思うのですが、
実際はそんなには足が向いてはいなかったと記憶しています。
実はラーメンを食べるなら「札幌ラーメン 一龍」と決めており、ほぼ毎週、ひどい時には毎日通ったりしていました。
今はもうない店です。
さて、水岡。
外装はともかく、店の中は喫茶店風。
当時はこうじゃなかったわけで、かといってどうであったかは思い出せず。
では、そのラーメンを。
こういう姿を見ると、
「昔ながら」というのがなんなのか、
少し考えてしまうのです。
いわれてみればそのように思うし、
ほんとうにそうだっけ?とも。
「昔ながら」を一回とっぱずすと、
わかめは要らないですね。
わかめはわかめスープならともかく、
ラーメンではスープに影響を与えてしまいすぎるゆえ、
私は常に添え物であるなら不要と思っています。
あれ?たまねぎが・・・
久々にコショーをかけたくなりました。
こうなると昔ながらの意味が少し見えてきます。
以前はなぜコショーを必要としていたかといえば、
その味のままでは最後まで持たない、そんなラーメンだったからでしょう。
正直なところ、再訪はないかな。
わるいラーメンではないけど、後を引かなかった、ということです。
もしかしたら32年前もそう感じてほとんど行かなかったのかも。
一龍があったのはこのあたりかな。
今のこの街なみでは全くわからなくなってしまいました。
都南デパートというバラックみたいな商店街で、その先頭(角地)にあったのが一龍。
確かコの字カウンターで、空席なんてほとんどない人気でした。
一龍はその当時では極めて珍しい西山製麺使用の札幌ラーメン店でした。
今でこそ西山製麺なんて当たり前の当たらり前ですけど、
ほんと当時西山製麺を空輸して使っていたのは池袋の「はせ川」とあと数店くらい。
それがこの東京のはずれのバラックの店で使われていたこと自体驚き。
まぁ、いわゆる不愛想な職人さんがやっていて、いつもムッツリ。
でもそれは真剣にラーメンを作っているが故で決して嫌な感じではなかったです。
スープにリンゴが浮かんでいたのを何故か記憶に強く残っています。
炒め油の香ばしさ、味噌のコク、塩の完成度の高さ、西山製麺との相性、
とにかく言うことなし。
それがいついかなる時も同じコンディションで提供される、非常にレベルの高いラーメン。
その後数年後に毎年札幌へ出張するようになり、本場の札幌ラーメンを食べるにつき、
一龍のレベルの高さがよりかえって際立っていたことを確認。
本当に出来のいいラーメンを提供していた店でした。
いつ消えてしまったのかは分かりませんが、おそらく都南デパート解体時に店ごと閉じてしまったのでしょう。
苦しい町田の思い出の中で、この一龍の暖簾をくぐることが唯一の癒しであり楽しみだったのは間違いありません。
小田急の前も全然記憶とと一致せず、
どうであったのかも思い出せません。
駅の下のロータリー。
ここは記憶通り。
自分の見た光景のまま変わらない。
バスロータリー前もほぼ同じだ。
ということで、町田で変わっていないある場所、その②へ続きます。