夜中の訃報。
義理の父の事故死の知らせ。
慌てて深夜の高速を飛ばして実家へ。
夜中に警察の人と会ったりいろいろなことをしている間にいつのまにか窓の外が白っちゃける。
そして、最近見た記憶がない丸くみかん色の朝日。
事件ではないことに胸を撫で下ろし、いったん家に帰る。
一睡もしていないが、眠くもならない。
私の両親、母を20代で、父を30代亡くし、なんとなく実感を忘れて数十年。
その時は病死だったのである程度の覚悟があった。
いわゆる急死がこんなに混乱するものとは思わなかった。
特に家族はただただ茫然とならざるを得ない。
だからここは私が警察対応、葬儀手配、いろいろな公共手続きをしてなんとかその場を凌ぐ。
初めて司法解剖の場にも立ち会った。ドラマの世界と同じだった。
葬儀は身内のみで。
突然のことで家族の気持ちの整理もつかないから、気を使わないそれがいいと思った。
それでもいろいろ大変だ。
人生の経験上、結婚式と葬儀は悲喜交々を他所に、家族は最も忙しい。
葬儀なんて、ある意味あっという間の出来事。
最後は骨だけになり、身に纏う苦しみや、しがみついた地位もなにも、一瞬にして灰なってしまうのだな、と妙な悟りをこの時に感じた。
ここまで落胆をしていても、送る日の夜は少し賑やかに。
故人とともに賑やかに過ごし、送ってあげなければ。
人の死に触れ、やはりその尊厳を覚える。
なんだろう、最も多忙な時期と重なり、最初は混乱するばかりだったが、今は急に落ち着きを取り戻し、窓の外の雲を眺める気持ちに余裕ができた。
穏やかな雲。
雲の流れのような過ごし方が、
人生の歩みの理想かもしれない。