通り道の公園から地域猫の姿がなくなった。
茶トラ、クロ、三毛、さばトラ、サビ。
5匹が取っ替え引っ替えいたはず。
いけないことではあるが朝のエサやりの決まった人影もない。
そして、公園の外には制服を着た2人の軽自動車が毎朝のように停まっている。
誰もいない公園が伽藍堂になったような寂しさに覆われている。
花を散らす桜は、まるで空き家のカーテンのように揺れている。
彼らは何処に行ってしまったのだろう。
悪いことは考えたくないが、ただの1匹の面影もないのは最悪の可能性もあり、そう考えてしまうと胸の痛みに耐えられない。
地域猫の問題はあると思う。
それを問題とするのは、人間の都合とルールに従えばだ。
木に咲く桜の花は美しさの極致。
しかし散った花びらはゴミの部類になってしまう。
それは勝手な理屈だが、
人間は勝手な理屈や都合の上に立脚している地球上唯一の生物なのかもしれない。
明日、来週、また猫たちが顔を出してくれないかと考えるのも、
やはり私という人間の勝手な都合なのだろう。