ちょうど物心ついた時にVANが倒産し、その放出品を三峰で山のように購入した。初めてのブレイザー(ブレザーとは言わない)、スタジアムジャンパー、スイングトップ・・・
ファッションはあのころ文化だった。その証拠にすべてのものにストーリーがあった。今のファッションはもう文化としてでなくギアになってしまった。敢えて言えばギアになったのでなく、なりさがってしまったと言ってもいい。
石津謙介は経営者としては結局成功しなかったが、文化人としてはとてつもない貢献をもたらしたと思う。
トレーナー、スニーカー、TPO、こういう言葉は皆彼が作ってきた今も通用する造語だ。
何度か石津先生に会ったことがあるが、とても色気のあるお方であった。常に生活をエンジョイされていて、仕事だけが人生はないというビヘイビアーを崩さない。
93歳まで人生を全うされたのもうなずける。
今日はその冥福を祈り、愛用のCAPECOD SPIRITマグを傾けたい。
■服飾デザイナー石津謙介さん死去 若者風俗の「開拓者」