とうとう、この日が来てしまった。。。
神田 さぶちゃん 2017年11月 閉店。
51年の歴史に幕。
いまや国民的な使われ方をしている「半ちゃんらーめん」という言葉の生みの親、
いや正確にはそれを世に広めた店。
遅れること1か月の年の瀬に、この張り紙を見ることとなり一抹の寂しさを覚えています。
↓ 以前に書いたこの店のこと ↓
兄弟店キッチングランと隣り合わせ。
店の中には、その後も来てくれた人を迎い入れるようにのれんが。。。
もちろん私もこの閉店を知らなかったので、この日もまだやっている、もしかしたら今回が最後になるかもしれない、そんな思いで訪ねました。
ただ、この張り紙をよく見ると、
「さぶちゃんの店が閉店」と書いてあり、「さぶちゃん」が閉店とは書いてありません。
単なる表現の違いであるかもしれませんが、そこに何かの「行間」があるような気がしてなりません。
さぶちゃんの店はなくなるが、さぶちゃんが残していったものはなくなることはない、そんなメッセージではないか、私はそう受け取りました。
ちょっとした落胆を埋めるには、目の前にある「いもや」がふさわしいとは思ったのですが、
やはり気持ちは「半ちゃん」に心揺れていたので、
ここは気持ちを切り替えて「あの店」に行くことに。
↓ 以前に書いた「いもや」のこと ↓
「あの店」というのは「伊峡」
より神保町に近い裏通りにあります。
この店は、さぶちゃん同様に学生時代から馴染みです。もうだから30年か・・・
以前には目の前にも「伊峡」があり、なぜ二つの店があったのかはすっと謎でしたね。
全く同じ味でもなく、好みで言うと閉店した伊峡の方が好きだったかな。
伊峡では表記が「半チャンラーメン」とカタカナ。
もともとここでは「ラーメンと半チャーハン」と言っていたはず。
いちいち否定するのも面倒だったのでしょうね。
さぶちゃんはここで修業したとも言われるので、実は「半ちゃん」はすでにここで生まれていたのかも。
それにしてもこの安さ。いや、本来ラーメンもチャーハンもこの値段を出せるもの。
現在世の中がいかにラーメンインフレであることが分かります。
さぶちゃんなき後、この雰囲気をいつまで保てるのか。
こんな水がゆっくり出る給水機はなかなかないですよ(笑)
ワンタン麺。
今日はラーメンではなくこちらにしました。
さりげない左右バランスの妙。
雲呑は雲のように浮いていなければ。
スープはさぶちゃんのようにしょうがが効いてはいないけれど、充分に味わいがあります。
刺激に慣れた方々には、ただただ物足りないと感じるでしょうけれど。
この縮れ具合と細さ、変わっていません。
いや、もしかしたら変わっているかもしれませんが。
半ちゃんラーメンの良さというのは、絶妙なる1.5というところでしょうね。
麺と飯のコントラストの一方、タレ、チャーシュー、ネギなど、もっと言えば卵と麺など、しらぬうちに「韻」が踏まれているからこその安定ペアなのだと思います。
この店もいつか無くなってしまう日が来るのだろうか・・・
すぐ近くには「アカシヤ」という古書店。
思い出すのは、この近辺に「アカシヤ」というサッポロラーメンの店があったこと。
東京のサッポロラーメン教室みたいな店でした。
同名なのは偶然なのだろうか?
12月にできた新店。
鶏と蟹のスープだそうです。
神保町周辺のラーメン店の出入りは、多分日本有数でしょうね。
消えては出来、消えては出来。
カレーの名店も一つ消えていました。
ハングリー味川。
店舗は「カレーは飲み物。」が引き継いでいます。
2018年、今日で終わりです。
そして平成最後の年を迎えます。
平成が終わりを迎え、昭和はさらなる昔になってしまいます。
さぶちゃん、味川、一代限りの店が店主の年齢と共に閉店。
昭和の名店はこの先急激にそうなっていきそうです。
以前の東京オリンピック前年に生まれた私。
2回目の東京オリンピックはもうすぐ。
あと2年の間に我が昭和の記憶を巡ってみたい気がします。
人生折り返すとなぜが整理を始めます。
希望がないとか、先がないとかではなく、振り返りつつ整理をすることが居心地がいいのですね。
若い頃「懐メロ」ってなんだよ、って全く他人事でいましたが、今はその言葉が身にしみるように理解でています。
まだまだやること、やりたいことはありますが、これからは止める、そして仕舞う勇気も持たなきゃいけないのかな。
なんて、ちょっと思いにふける年の瀬。
本年もたくさんのアクセスありがとうございました。
来年もまたお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。