世の中には常に流れというものがあると感じます。
そして、今その流れのひとつに、「悔しさ」「草の根」への共感、があるような気がします。
例えば立憲民主党の躍進。
打ち出した政策や信条というよりも、枝野さんのあのにじみ出る悔しさの表情に多くの人の心が靡いたのではなかったかと思うのです。
それをさらに加速させてのが「草の根」という言葉。
誰が普段悔しさを募らせているかといえばその多くは草の根にいる人たち。
草の根であり悔しさを募らせている自分に、枝野さんの立ち位置を投影した時、何か応援したくなり、気持ちが近づいていったのかもしれません。
私も心揺らいだのは事実です(私の場合は、それでどうしたかには直結していません)。
日曜日まで共感していた人は、もしかしたら今の大勝した枝野さんの表情にはもう共感を覚えなくなっているかもしれません。
それは枝野さん自身も分かっており、昨日の議員総会で「永田町の内側の権力ゲームにはコミットしない。その軸を守りながらやっていきたい」と自戒を促したのはそのためでしょう。
今後野合のような動きが出た瞬間、一票を投じた方々はいっぺんに気持ちが覚めてしまうはずです。
もう一つ。
ベイスターズの躍進。
この先日本一になるかはわかりませんが、今のファンの心情としてかなりの「悔しさ」を解消できたのではないでしょうか。
ベイスターズはここ何年も甘んじる成績とは別に、球団は悔しさの中で生まれた「草の根」活動を地道に展開しファンをしっかり醸成、2011年以降ジワジワと観客動員数を伸ばした結果本年はとうとう球団史上最高に達しています。
よく見れば先発のほとんどがベイスターズ生え抜きのまさに「草の根」の選手ばかり。ど派手なネームバリュー選手よりも、身近な選手が活躍してくれることへの共感が、よりチームへの愛情を育んでいます。
ここで書いた「悔しさ」とは、単なる失敗への悔恨だけではなく、「真面目さゆえの損」という側面もあるかもしれません。
そして「草の根」は、煌びやかな草花ではなく、雑草魂的なもの。
人は誰でも抑圧に耐え、その気持ちと闘いながら生きています。
それゆえ何かに自分を投影し、その憂さを晴らしたくなります。
共感はただただ喜ばしいことにばかりするものではなく、じっと耐えたり、そしてその抑圧を跳ね返す、ネガティブ要素からも起こるものと思います。
不満はないが、不安はある、こんな時代にはこの先また違った流れがすぐに起きうるかもしれません。