ある日の房総。
ずいぶんと以前に来たことがある上総一ノ宮の「名糖食堂」。
それはそれは鄙びた風情漂う食堂でした。
またラーメンが昭和タイプのもうなんともいえない味わい深いもので、すでに絶滅危惧種的な・・
そして・・
ふ
見ると改装して新しい店になっていました。
あの味をもう一度味わえるのかな。
チャーシューメンを注文。
作るのは息子さんと思われる若い方。
傍らにはやや引退気味の老夫婦。
おや?
黒いどんぶり、バラチャーシュー。
記憶と全然ちがう。
そのことは一旦リセットしよう。
新しい出会いかもしれないから。
細かく浮かぶ背脂、煮卵、もやし・・
かんすい多めの黄色い麺。
全てがたしかに別物。
別物であるのはしょうがないとして・・・
このラーメンははっきり言ってダメなラーメンです。
まずスープが冷めている。熱くないラーメンなんて魅力があろうわけがない。
そしてすべてがまとまりがなくバラバラ。
どこかで見たようなパーツ、パーツ。
世の中的おいしそうなラーメンパーツの寄せ集めとしか思えない。
でたらめにまずいとか、ていねいに作られていわけではないにしろ、
なにか「根っこ」がないのです。
以前ここでいただいたラーメンは、一つも格好よくない、
格好よくないのに、でも力強い「芯」を感じるものでした。
食の与える強烈な記憶ってこの「芯」あってこそじゃないでしょうか。
パーツもビジュアルも、その上に成り立っているもの。
なぜこんなにも別物にする必要があったのか、そう思うのです。
あんなにもいいものであったのに。
はっきり言えば、現状のラーメンなら、都市部のどこでも食べれるか、いやそのどれにも勝てないでしょう。
逆に言えばそんなもので、この上総一ノ宮という場所で勝負したってしょうがない。
1回、以前のラーメンを作ってみたらいいのではないですかね。
それの何が人の心をひきつけていたのか。
人々が何を求めていたのか。
食の「芯」は、独り相撲では創れないものなのですから。