ここ数年、街の中華屋さん、そしてお蕎麦屋さんがどんどん減っていると思うのです。
それは確かに時代の流れのなかでの生活スタイルの激変によるものなので、どうしたって止めようがないものではあります。
けれどやはり昭和を生きた人間には、そういった店が消えていくのは自分たちの郷愁ごと消えていくようで、ものすごく寂しいことです。
私の近所の中華屋さん、お蕎麦屋さんはすでに10年で5軒ほど店を閉じました。
もう少し行動範囲を広げたらこの3倍くらい無くなっているかもしれません。
さらに「食堂」と名の付く店はもっと生存率が少なく、温故知新的新しい店や西洋料理店の和名=ビストロがわざと「食堂」を名乗る場合以外、一部の駅前の繁華街以外見つけるのは相当難儀なはずです。
その中でなくなるどころかしっかり繁盛され、今でも愛されている「食堂」が比較的近所にあります。
名前は「い志い食堂」。
ご覧の通り定食と中華を中心にしていて、もし定食だけだったら「定食屋さん」なんでしょうけど、この中華をしっかり扱っているということで「食堂」と呼ぶにふさわしい構成ですね。
ラーメンと半カレー。
いやいやいや、このカレーのどこが「半」なのか!
ラーメン550円。
どうですか!!この美しい構成図。
絵画の域でしょう、これは。
この腿肉のチャーシューの色合い。
色合いはもちろん、味そのものが芸術的。
一番大切なのはこのラーメンにとって最適化されているということ。
これはチャーシューメンを食べてみる必要がありますな。
ほんの少し生姜の香りがするスープは、全体のいいまとめ役。
色がきれい。
スープの色がきれい。
きれいなものにまずいものなし。
麺も、スープも、チャーシューも、みな80点。
でもそれが集まるとなぜか90点を超すようになるこの計算矛盾。
この見えない貴重なる10点を加えることができるのが「調理」という技でしょう。
このカレー、なんていったらいいか、「野球場のカレー」とか表現したらわかります?
スパイシーとかそういうのではなく、甘辛でモッタリした味の濃いカレー。
食堂に求めるカレーはこうでなくっちゃ。
もやしソバ。
このビジュアルだけで味の内容を語らずにして伝わろうというもの。
まぁ、熱い。
あんかけもやしソバは多分究極の高温度ラーメンですよね。
チャーハン。
先に言うとこのスープがうまい!!
ちょっとべっちょりしてるのはご愛敬かな。
シアワセの四重奏。
「堂」というのは、なにかが集まる集合体。
「食」が「一堂」に会する場所。
殿堂、仏堂、礼堂など、「堂」は高貴な言葉とよく結びつくものです。
食堂もそう考えればたいへんに品のある言葉のはずです。
一見古めかしく思える言葉かもしれませんが、決して消え去っていい言葉ではないはずです。