「環七ラーメン」という言葉にピンとくる人は今やどれだけいるのだろう・・
「背脂チャッチャ」という言葉は後に出来たにしても、まさにこの店から生まれたものと言っていいでしょう。
板橋にあった環七ラーメン「土佐っ子」の姿が消えてもう四半世紀。
池袋西口。
環七無縁のこの地に「土佐っ子」はあります。
どうしてここにその店があるのかなどはネットのそこかしこにあるので省略。
背脂だけに?ドロドロした話もあるわけで・・・
脇道にある看板のほうがなんとなく当時の「土佐っ子」っぽいですね。
「感動との出会い」
これはラーメンフリークには微妙な表現ではあるものの、
昭和世代であれば一つのノスタルジーと思うのがいいでしょうな。
当然「赤箸」があろうわけもなく。
15人ローテの赤箸に当たった日はなんとなくラッキー感がありました。
日中のサービスとしてこういうセットもあるわけで、
ついつい頼んでしまい・・・
少々後悔。
不味いチャーハンということもないけれど、特に別美味しくもなく、
だったら当時の土佐っ子をしのび、ラーメンだけにすればよかった・・・
なにしろ20年以上前のことなので、自分の記憶もすでにもう曖昧。
丼の図柄が違うのは当然として、若干それ以外の違いも感じたり。
大量の背脂を避けて現れるスープは、まさにあの時のスープの色。
なんというか「土色」というか。
甘みのある醤油味。
いろいな評論もおありでしょうけれど、私的には十分記憶の範疇。
まちがいなくこの味です。
その色を吸う麺の感触。
これはちょっと記憶と一致しなかったかも。
かといって全然違うでもなく「そんな気もする」くらい。
さすがに全部は飲み干せはしません。
あの当時は意地でも最後までいってやる、と意気込んだものですが。
はっきりとした背脂系は土佐っ子の他、千駄ヶ谷ホープ軒、もうすでに二郎もあったし、他にはどこかあったかな?
今みたいに道を歩けば背脂ラーメン?みたいなことはなかったですね。
土佐っ子のある池袋西口。
立教出身の自分にとっても懐かしい場所。
今のような飲食街というよりずっとずっと風俗街でしたけどね。
一本中に入ったこのあたりがまぁアヤシイ店が立ち並んでいたと思いますけど、
現在は驚くほどラーメン店が集中しています。
さらに一本入ると、そこはもう「昭和」。
私は大学に「いる」のが大好きで、とにかく大学4年間は池袋の滞在時間は確実に自宅にいる時間を大きく上回っていたと思います。
誤解なくいえば、勉強が大好きで、専攻のことに没頭しすぎてとにかく大学にいました。論文とか書きまくっていましたね。
それでも夜は当然繰り出すわけで、そうなるとまずいたのがこの「ロサ会館」。
そうそう、この「中国茶館」は当時からあり、特に特徴もないのにいまだに時代に取り残されることなくあるのがものすごく不思議。
3回くらい行ったことがあったかな。
私がいたころも野口投手擁する立教大学優勝の可能性があって、結局叶わず悔しい思いをしました。
甘味処の「三原堂」、ここもよくいきましたね。
同期の女の子数人といかがわしくない「1日デート」っていうのをよくやっていて(笑)、
まずここに来るのがお約束。
西口交番。
酔っ払いの駆け込み寺と言われていましたね(笑)
おかげさまでこちらにお世話になることはなかったです(笑)
西口。
ビックカメラはなかったです。
芳林堂という書店でした。
そこに「絶倫堂」とかいうすごい店があったなぁ(笑)
池袋待ち合わせの名所、36面があった場所。
みんな昭和のこと。