おそらく、東京一奇怪な風景かもしれません。
六本木の街並みから消えることなく存在するこのバラック。
元「支那そば・大八」
前方にそびえたつミッドタウン。
背景には六本木ヒルズ。
どう考えてもこれらの都会の象徴とはアンマッチ。
しかしそれはある意味考え違いで、そもそも大八のがずっと先にあったわけですから、
アンマッチな風景にしたのはあくまでも”後輩”たち。
けっして大八のせいじゃありません。
30年以上前、東京の山手線内で食する極めて完成度が高いオーソドックスな東京ラーメンといったら、
神田ピカ一と並んで双璧であった存在と思えます。
今のようにどこもかしこもラーメン店ではなかったし、決してラーメン店が地位の高い存在ではなかったわけですが、
この大八はそんな中特異なポジションであった記憶があります。
うっすらラーメンの文字が・・ 1杯600円だったかな。当時としては高い部類。
ポーションは少し小さめ、さやえんどうが乗っている姿が独特でしたね。
甘めの透き通るしょう油のスープ。適度な縮れ麺。
「チャシュメン」も読み取れます。
この言い方は老舗には多いですね。
30年前だって六本木は六本木で、やはり夜は華やかでこの店もこの店装とは異なる種族の人が呑みの後として似賑わせていました。
あれはラジオだったと思いますが、何か音が流れていたのを思い出します。
タバコの煙と共に。
すっかり悪戯書きがいっぱいになっています。
ところがこの悪戯書き、悪戯なのでいけないことであるわけですが・・・
この店の黄色い看板はまさしく手書き風で、これらとえらく共通するものがあるのです。
めちゃくちゃ細い字で、まるでマジックで書いたような黄色の看板に赤い字。
あれはアーティスティックだったなぁ。。
当時だってバラックには変わりなく、なんでこんなところにこんな店?と最初は不思議に感じたりはしました。
けれど2回、3回と足を運んでみるとど、これは”わざと”そうしているのではないか、そんな節も感じられたのです。
なんというか一つの都会のアンチテーゼなのか、はたまたむしろカルチャーだったのではないかと。
だって今でもアートじゃないですか。
そう考えると、店じまいしてもなおこ取り壊さない理由も少しわかるような気もするのです。
ラーメン店の役割を終えたとしてももう一つの役割が残っているような。
いつかはここから消えるのでしょう。
銀座のニューキャッスルのように。
その日が突然来ないでほしいような気がします。