
千葉県内、それを食べに行くだけにドライブをする。
それも悪くないものです。
目的地は四街道にある「煮干しらーめん 海空土 」。自宅からは1時間かからない場所。
娘と二人のドライブ。
「ちょっとラーメンでも食べに行こうか」
「海空土」でかいくうど。
この店名の由来は知りませんが、この三つの単語の意味することは文字通りに考えればそう難解なものではありません。
淡麗旨口、天然無添。
これの意味するところもそう難解ではありません。
今や情報の世の中ですから、キーワードとして「永福町大勝軒」などが出てくればなおさら。
ただ・・いろいろなレビューから見るとほとんどそれはカタログスペックであり、イメージなんでしょう。
ここが情報の恐ろしいところ。行ったこともない永福町に行ったことになってしまうのだから。
私は永福町にはそんなにいい記憶がありません。あの行列では量の多さに魅力があったものの、一品で見たときには煮干しが立ち過ぎてバランスが良くないラーメンとしか・・・。
私の20年も前の記憶も、もはやイメージに近いものになってしまいました。
辺鄙なところといっては失礼なれど、この道筋でにぎわっているのはここかガソリンスタンドだけ。
それなのにここへ右折左折する車の絶えないこと。
ちょっと驚き。
店内はL字のカウンターのみ。
家族連れでも当然カウンター。
この日、偶然でしょうが中年・壮年のご夫婦であろうが入れ代わり立ち代わりで訪れている様子がうかがえました。
なんか分かる気もします。
これらの年齢の夫婦が「わざわざ」「ラーメンでも食べに行こうか」というお店の選択肢で、ど真ん中のターゲットになるお店はそうそうないものです。
車で行けて、バカみたいな濃厚ラーメンじゃない、男女の好みの差がない、美味しい満足感を後にして去ることができるお店。
麺上げは平ざる。
深ざるとどちらがいいという論議は無駄ですが、平ざるで行う方がより集中力と技術を伴うことだけは間違いないでしょう。
「煮干しらーめん」というタイトリングは正直余計だとは思うのですが、熾烈な競争を生き抜くための当然の武装なのでしょう。
味玉らー麺。
あ、「着丼」なるくだらない言葉は使いたくないので、フツーに「運ばれてきました」と言います(笑)
実際には運ばれてきたというよりもカウンター越しの手渡しですが。
「永福大勝軒系」など言われますが、まるでビジュアルが違うしコンセプトだって違います。
味の系統は別として。
あんな度が過ぎた量ではなく、一杯を一杯として楽しめる分量の美しさ。
大人の分別というか。
すぐに表面に膜が張るのは多少の脂っこさの証し。
軽い動物系の甘い油の香りとプンとくる強い煮干しの香り。
好き嫌いもありますが、イヤな匂いではありません。
美しい黄金色は間違いのない期待を煽ります。
この麺は食べた時より、食べ終わってから何故か後を引きます。
なんでしょうね。
ちょっと不思議ですがよくできていると感心。
特徴をドカドカ前面に出すよりこういうバランス系のが難しいものです。
ワンタン麺。
後に気が付いたのですが、ワンタンの具は餃子の具とかなり近いものではないかと。
このチャーシューはよくできていますね。
バラのような重さもなく、適度な噛みごたえと肉の旨みがあり。
味玉は・・・特別なものではなく平凡。
ギョーザ(にんにく無し)
予想を裏切られるまさかの丸餃子。
餃子というよりは焼き小籠包的。
違うのはかなりもっちりとした厚みのある皮。
ご主人はまるで独り言のように「温度は94℃!」「96℃、火を止めて」を何度も繰り返し、そして細やかに調節をしています。
そう、実際に温度計が寸胴に入っているからです。
スープを丼に注ぎ入れる直前に、まるで儀式のようにいったん持ち上げたスープを再び高い位置からスープを戻します。
なんだか澱を残さず、そして空気に触れさせるワインのデカンタのよう。
私の感じ方ですが・・・
ちょっとだけ後半のスープが力を失うような気がしました。
煮干しの香りに慣れた以降、今度はスープの一番力強いガラの味が引き立てばまさしく飲み干す力添えになるのですが。
飲み干した人だけにもらえるサービス券。