
ふと通りかかった本屋さん。
何気なく入ってみる。
本屋さんは昔から好きだ。
小学生のころから書店に入りびたり。
理由のひとつはクーラー。
笑い話のようだが、当時クーラーというものがそんなに普及していなく、新しくできた書店ほど涼しくて、ついつい涼みに行ってしまった。
そしてもう一つ、私の実家の家業は製本業だったから。
私の生まれは神楽坂。
そういうと聞こえがいいが、要は赤城神社のすぐ裏手、いわゆる小石川から早稲田にかけての出版街。
その後自立して下町に構えた製本業。
毎日毎日紙の匂いに囲まれた町工場の生活。
小学校では図書係。
中学校では図書委員長。
大学も文学部に。
もうしみついてしまったDNAなのか。

そんな私の、自分の本がなぜかおいてあるこの不思議感。
並んでいる雑誌を開けばそこに自分の顔写真が載っていたりしている。
本当に不思議。
私にとって本というのは、読んで楽しむものというだけの感覚は正直ない。
親が汗水たらして自分を育てくれたものゆえ、本は自分の肉体の一部だし、最も郷愁が染みついたもの。
だから、たとえ一生に一回のチャンスであっても、本を作る側ではなく、その本を書く側になることができたのは、この上ない特別な大事件。
同時に、今はもういない親への恩返し。
毎日毎日黙々とただ人の書いた本を作り続けた、その息子が一冊の本の著者になることができ、
雑誌という紙の印刷の上に載っている。
もし生きていたら何と言ってくれるだろう。

このことをもう達成した時点で正直人生が終わってもいいと思ったくらい。
本当によかったと思う。
オリンピックに出て金メダルなんか獲得はできないが、
自身の達成感はそのくらいある。
こういうことはそれぞれの人生に何度も訪れないものだと思う。
本当によかった。