今、世間でいちばんコモディティ化しているは、「SNS」と「アウトドア」。
こう言い切っていいかどうかとても怖いですけど、ずっとそれを感じています。
なんというか、完全に表層はパターン化してしまったと思います。
そもそもアウトドアっていうのがなんであるかそれもはっきりしていませんが、
5年前でいうアウトドアはアウトドアスポーツをイメージさせ、今はアウトドアファッション(スタイル)をイメージさせるはずです。
長くファッションビジネスにかかわった経験からも、ファッションであるなら必ずコモディティ化していきます。
今いいなぁ、と思っているものはおそらく5年後は陳腐化しているかもしれません。
なので、現在アウトドアは盛り上がっているのですけど、どこかで表面的な部分はいずれ冷めてしまうのも本当です。
いろいろな見方はあろうかと思いますが、パターン化については動かせない事実だと思います。
これとこれとこれでだいたいのパターン、っていうのは厳然とあります。
それとそれとそれを揃えば、というのも同義語。
批判とかではありません。
そうなって当然。学ぶ、というのは、真似ぶ、からきたともいわれているくらいですから、学んでいけば必ずそうなるものです。
カタチも、ことばもそうだし、食事とかのメニューも、予想外というものにはまず出会いません。
アウトドアスタイルは全般的にかなり定食屋さんになっているんでしょうね。
意外な景色が広がるのかな、と期待はしてみても・・・
ああ、やっぱりこれか、と。
組み合わせがちょっと違うくらい。
ただ、無個性ということはなく、そこはものすごく多様で、アレンジはものすごく自由。
でも、いったんバラして1個ずつをみれば、そこに予想外はまずないでしょう。
ちょっとくらいそこからは外れてほしいな。
たまには、くらいでも。
考えてみれば今に始まったことでもないし、そりゃ以前の方のがずっとずっと面白みがなかった。
全然今みたいなおしゃれ感もなかったし。
そこから脱却させてくれたのがニューエイジたち。
ニューエイジといったって、1年1年歳を取るのは一緒。
残念ながらいつまでもニューエイジであり続けることはできません。
誰かが前に言っていたけど、ダッチオーブン料理なんて失敗したっていいんだよ、それがおもしろいんだから、と。
パターン化されていなかったから。レシピなんか目安に過ぎなかった。
結果が見えない面白さもあった。
今は、「失敗」なんて許されませんね。レシピ通りに、つまり想像通りに出来上がらないと。
だってそれをきれいに撮って、アップして、いいねをもらわなければならないから。
ものすごい皮肉言いましたけど、これ、簡単には否定できないでしょう。
他人のことだけ言ってるわけでなく、私もそんなことをしていることはしょっちゅうです。
求められているのは「プロフェッショナル風」。
あくまでも”風”
素人くさくちゃダメ。「おお、すごいね」。他人に見せるというのはそういうこと。
ファンクションとかの深い部分なんて所詮興味のないところ。
スペックすらもうどうでもいいかも。
そんなことより見た目がアーティスティックであることのが今はずっとずっと大切。
つまり、フォトジェニックであることが極めて今の重要たる要素であるのかもしれません。
ナチュラルか、カラフルか。
エアリーとか、ビビットとか、ちょっとエスニックだったり。この辺もパターン化され始めてます。
グレーッシュとかはありもしないですもんね。
目的のある手段なのか、手段だけを楽しむものなのか、これは難しいものです。
もし浅いカルチャーでなければきっと前者となってくれるでしょう。
この日、ある集まりの中で、「アウトドア」はもう使わない、という宣言がありました。
そうなんです、使われ過ぎたものは淘汰が始まります。
だからここからがまたおもしろいはずです。
淘汰されていくと洗練の道をたどるか、全く違うものが生まれてくるか。
完全に表層はパターン化してしまったとはいえ、そうなればまた一皮むけていきます。
その内側から現れる何かはまだ誰もみていません。
私は、それがアカデミックであったり、情緒以上の精神世界であったり、未知への探究心の入り口であったりしたら、一度狭まってしまったものがまた大きく広がるのではないかとなんらかの期待をしています。