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【日本の宝】「ギタリスト・松原正樹」を偲ぶ

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とうとうこの日が来てしまったのか。

ギタリスト 松原正樹さん、2016年2月8日逝去。享年61歳。

少し大袈裟に書くと、自分の一生涯で聴くことができているサウンドの30%には松原正樹がそこにいたといって過言ではない。

大ファンとかマニアではないけれど、とにかく長く聴いている。いや多く聴いている。松原サウンドのベービーローターであることだけは間違いない。

自宅だろうが、クルマの中だろうが、電車のiPhoneだろうが、一番触れたミュージシャンは間違いなく松原正樹と森園勝敏。

「松原正樹」という人を、みんなが知っている。

ある一定以上の年齢の方は間違いなくこの人の「音」に触れている。絶対に。

それが松原正樹と意識しようがしまいが必ず触れている。

本当は松原正樹を歌謡曲やポップスで語りたくはないけれど、まさかこんな身近な人だったのかということをまず声を大にして言いたいので敢えてそこから始める。



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恋人がサンタクロース、渚のバルコニー、カナダからの手紙、長い夜、微笑がえし中央フリーウェイ、六本木純情派、さよならの向こう側、冷たい雨、瞳はダイアモンド、セーラー服を脱がさないで、ANNIVERSARY、愚か者、北ウィング、ジェットコースターロマンスなどなど・・


松原正樹が関わった1万曲の中からこれらの曲を挙げれば知らないはずは無いだろう。



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恋人がサンタクロース」でのサビのあのドライブ感あるバッキングソロ。まるでユーミンと呼応するかのような一体感。

聖子ちゃんのワンフレーズの後、湧き上がるように始まるあの「渚のバルコニー」での美しいギターフレーズ。

それまでのフォーク歌手松山千春のイメージを一変させたあの「長い夜」の印象的なイントロ。

誰でもピンとくるまさに歌謡曲としかいいようの無い「カナダからの手紙」のイントロ。

その一部がこの動画に見て取れる。




タモリの「音楽は世界だ」という私的には空前絶後の素晴らしい番組があったのだが、松原正樹はそこで取り上げられていた。もちろんこの回を直に観たし、当時Youtubeなんてないので貴重なる生の姿を見たことに大興奮を覚えた。

この出演をキッカケになったかは定かではないが、当初の番組専任バンド「是ちゃんズ」は、松原正樹がレギュラーとなる「NOBUさん(斉藤ノブ)ズ」にすぐに取って代わられた。正直そのくらいこの出演はインパクトがあったのではないか。



<追記>

さらなる松原メドレーはここでも見れる。あれもこれも、まさに昭和の歌謡曲史ではないか。






話を戻す。


上記の名曲たち、どれもサウンドの傾向が全く違うのに、これらの大ヒットにあれだけの強烈なアクセントを加えられる広角打法をいったい誰が他にできるのか??

しかし必ず目立つソロをぶっこむわけではなく、それが松原正樹の真骨頂ではない。

どんな曲にも「最適化」できるその引き出しと奥行きが桁違いの安定感を持っていた、そういうことだろう。

つまり日本一信頼のできるギタリストであったことは間違いない。

そうでなければ自身の活動以外の1万曲ものスタジオ入りが出来るわけがない。

昭和歌謡の何分かの一は松原正樹で出来ているといっても過言ではないはずだ。


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キャンディーズ「微笑がえし」山口百恵「さよならの向こう側」という昭和の2大スターの引退を飾る曲のミュージシャンとして双方に選ばれているというのはその証明のはずだ。

この大事な場面を任せるのはこの人しかいない。


それでもきっと多くの人は「松原正樹」の名前を知らない。

だからこそ偉大なる陰の立役者「スタジオミュージシャン」だと思う。


ちなみに私が最も歌謡曲の中で松原プレイがすきなのは「真夜中のドア」。

このことは以前「回想・松原みき 真夜中のドア ~Stay with me そして二人のギタリスト」に書かせてもらった。


ここまではこの文章でのイントロ。

本題はここからだ。


私が松原正樹という人をものすごく意識したのはこの曲。



フジテレビで深夜に流れるこの曲。彫刻の森美術館の映像と共に。

この頃フュージョンにドはまりになっていて、PRISMやカシオペアをかなり聴いていたが、この曲はそれまで聴いていたグループ系のギタープレイと異なり、圧倒的に「ギタリスト」の存在感が際立っていたことにショックを覚える。

あまりに美しいメロディにも圧倒され、いったい誰の演奏なんだろうと調べに調べた。当時ネットなどないのだから検索なんかあろうはずがない。非常に苦労するも何のヒントもなく途方にくれながら深夜にこの曲に会うのが楽しみになる。



そんな時オールナイトフジにまさかの松原正樹の出演があり、そうだったのか!この人だったのか!と納得し、翌日にはレコード店でこの「YOU BABE」が入っている「SNIPER」を購入、それはもう聴きまくり、そのときから30年近く経っている今でもクルマの中でヘビーローテしている。

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その後プロレスに熱くなったとき、このタイトルでもある「SNIPER」が小橋健太の入場曲になった時には違う喜びを感じた。




しかし、本当を言うと私が「YOU BABE」で松原正樹を知ったのではなく、その名前はすでにあるアルバムのクレジットで既知であった。

それがなにあろうさだまさし。1970年代後半。

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当時フォーク系の高校での部活動をしていたこともあり、「帰去来」「風見鶏」のアルバムを持っていて、そこに松原正樹の名があり、ギタリストであるということよりなぜか「正樹」という名前にものすごく惹かれるものがあった。

そのときのインパクトが後に多大になって影響し、私は娘と息子の名前1文字に「樹」を入れることになったくらいだ。


「帰去来」に収められた「夕凪」の間奏に流れるギターソロはきわめて美しく、正直フォーク系の人が引くにわかエレキギターとはまるで異次元の音であり、「そうか、プロフェッショナルとはこういうものなのか」と感心しまくったのを覚えている。

実際にはものすごくジャジーでロックなサウンドの主なのに、昭和歌謡どころか、こういう純粋なフォークのバックまでこなせるとは、どれだけの才能を持ち合わせた人なのか・・

さだまさしのアルバムに名を連ねた人が、偶然耳にしたフォークとは無縁のサウンド「YOU BABE」で一致したのだから、驚きを通り越してこれはもう運命的と思い、そうだこの人を勝手に追いかけようと心定まり現在に至っている。

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その後1979年に「PARACHUTE」に出あう。

結成のいきさつはその頃全く分らなかったが、レコード店で何かを物色しているときにこの曲が流れ、店員さんに「これは誰の何の曲ですか」と聞き、即効教えてもらったのが「PARACHUTE」。「この曲」とは「Hercules」※ヘラクレスではなくハーキュリーズ。

そこにまたもや松原正樹の名前があったのにぶっ飛ぶ。

林立夫、斎藤ノブ、マイク・ダン、松原正樹、今剛、安藤芳彦、小林泉美、この中で知っていたのは松原正樹以外、林立夫(ティンパンアレーで知っていた)と小林泉美(フライングミミバンドはテレビで見て、色黒で甲高い声の女性と認知していた)くらいで、この頃は斎藤ノブも今剛も知らない存在。いわゆるオールスターメンバーであるといい意識がなかったものの、とにかく買うしかないとその場でまたアルバムを買っていた。




PRISMやカシオペアを聴きすぎていたこともあって、無駄な?ソロの掛け合いなどがほとんどないこのアルバムの構成にとにかく驚く。あくまでもメロディ重視。



しかもどこをどうひっくり返しても日本人ミュージシャンとは思えぬこの洗練されたサウンド。ちなみにツインギターとしては左に松原正樹、右に今剛の配置。

この「Fly With Me」も松原正樹のエンディングソロと思われる。




Miura Wind

アコースティック2本の名曲。

PARACHUTEが好んで合宿をしていた逗子で作られたこの曲。聴いた話だと、曲作りに当時悩んでいた松原正樹を、今剛が合宿の建物から引っ張り出し、まさに三浦の風を浴びながら共作したものだという。




DEDICATED MAN」はカネボウのCMに使われ、らしさたっぷり。ここでも左から流れるツヤツヤの松原サウンド全開。

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「PARACHUTE」が出した3枚目までのアルバムはスタジオミュージシャンが遊びをもって「音楽はスポーツだ」というキャッチフレーズで臨んだものに相応しかったが、4枚目は突然の如く全体がロック一辺倒になり正直驚いた。

ただ松原正樹の繰り出しているサウンドは少し異彩があり、こんなバラード調の曲を発表している。

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Sylvia

ノンディストーションのソロ部分がまた聴かせてくれる。


この後、形式的にPARACHUTEは解散されたものの、機会あるごとに再結成され、ファンを喜ばしてくれた。



この35周年は観にいくことこそ出来なかったが、DVDで楽しませてもらっている。

松原正樹もめいっぱい弾きまくっている。 ARESA KORESAあたりが実に「らしい」。


途中斎藤ノブと林立夫が冗談として「最近は食いもんの話と病気の話しかしない」などと悪びれず話しているのは、もちろん誰も1年半後に盟友を亡くしてしまうなどメンバー誰もが微塵も思っていなかったはず


抜けてしまったが、松原正樹のソロワーク時代、この曲に深い印象がある。

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流宇夢サンド

最初の頃「ルームサウンド」とばかり思っていた。



本来はスローテンポなので、このライブで繰り広げられているものとは趣きがまるで違うが、このアップテンポのニューヨーク風のアレンジもすごくいい。

この頃は坂本龍一も一介のキーボードプレイヤーで、今のような大先生ではない時代。ただ明らかに他の人とは毛色の違うサウンドを作っている。

本多俊之のサックスはまさにニューヨーカー風でめちゃくちゃカッコウイイ。

松原正樹のソロの主張あるドライブ感を聴いていると、この人がどうして歌謡曲の表に出ないようなバックミュージシャンをやれているのかが不思議なほど。

そこが他のギタリストとは間違いなく違う。


<追記>

ほぼ「流宇夢サンド」はこれ





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松原正樹の活動で忘れてはならない盟友といえば、ここでも繰り返しでてくる今剛

お互い最高のパートナーであることは一生涯変らずだろうと思うが、松原正樹がなくなった今、今剛にはどんな思いがこみ上げてきているのだろう。

私のようなものには知れるよしもないが、その喪失感は例えることが出来ないのではないか。




私もいたこの25周年の時の2人の息の合い方は忘れることが出来ない。

AGATHAの時に今剛の弦が切れるアクシデントがあった折の松原正樹のサポートの見事さに2人の関係が見て取れた。





Midnight Drivin'」 The Guitar Bros. 松原正樹 with 今剛 sittin' in

この競演もよかった。

2人のまったく重なるところ、まったく違うところが実によく分る。




この競演もネット上では有名。Make it wihe you




音源はここにはないが、後年に出したギタープロジェクトTime Machine」がとてもよかった。



松原正樹は自分の曲「REBORN」以外の他の人のプレイにかかわり、このアルバムを大切に作った感じがすごく出ていた。

でもやっぱり「REBORN」が跳びぬけてかっこよかった。

オトナの味わいを提供してき続けた松原正樹ぽくないともいえるが、むしろ今思えば、本当にはじけまくった究極の松原サウンドなのではないかと思う。

これを50代後半で生み出していることに恐れ入る。

NANIWAの岩見和彦と繰り広げられる後半の音作りがもうたまらない。

残念ながら音源はここにはないが、このページで視聴可能。



このアルバムでは完全なお遊びとして、こんなPVも作られている。



こんなことが居酒屋で繰り広げられるというのが信じられない光景だが、これだけのメンツでもやはりAメロは松原正樹。




この動画の公開は2015年9月となっている。

エフェクターの紹介ではあるが、ご自信の声、そして多彩な松原サウンドが生で聴ける貴重なPVだ。

過去の曲のあの部分、あの音と同じだ、そういうエッセンスが随所にある。

公開は昨年9月ではあるが拝見する限りそのような大病を患っていらっしゃる様子はほとんど判らないし、まだふくよかさがあるので撮影はだいぶ前かもしれない。

その後奥様の南部 昌江さんのFACEBOOKにアップされたお写真などを見るとこんなにふくよかではなくかなり痩せられていらしたし、2015年のPARACHUTEもそうだった。

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その奥様の、ご主人が亡くなられた2月9日の投稿にはこうあった。



魂が宿っていた肉体にいよいよ限界が来てしまいました。

治療を続けてきましたが、末期癌の為2月8日未明、夫:松原正樹の魂は天に昇って行きました。

入院してからは、激痛緩和の麻薬鎮痛剤で意識朦朧状態が続きました。

そんな容態でも、夢の中でレコーディングをしている様子をずっと口にしていました。

普段から演奏やレコーディングに集中する性格が凄く出ていて、看ていて泣きながら感心していました…

生前のコロコロっとした体型、優しい笑顔、私の好きなハスキーヴォイス、ドラえもんの様な手で歌う様にギターを弾く松原の姿を記憶に留めていてください。

松原が魂を込めた演奏、追求し続けたサウンドの作品は沢山残っていますので、末長く愛聴して頂けたら、松原がこの世に生きた証しとして嬉しく思います。

本日、那須にて家族葬を済ませました。

お知らせできなかった事をどうかお許しください。

尚、後日東京でお別れ会を催したいと思っておりますので、企画整いましたら、オフィス・ロッキングチェアー山口より関係各位ご案内させて頂きます。

皆さまに温かく見守られ、沢山の励ましのメッセージを頂きました事を感謝いたします。

本当にありがとうございました。

2月10日 松原昌江





松原正樹オフィシャルサイトにはこういうページがある。

那須の四季


晩年那須に移住され、スタジオ件自宅で暮らされていた。

ここにある風景の写真を拝見し、同じ風景を見たことがある。

私の好きなキャンプ場へ行く途中にその光景がある。

実に美しい雑木林に囲まれた地域で、車通りからも離れているし、那須高原の美しさを満喫できる場所。


勝手な言い方だが、「流宇夢サンド」のイメージが実に似合う場所。



Nyan


こんなページもある。

迷い込んだ子猫との18年の暮らし。

先ほどの「Time Machine」PVの最後のほうにも出てきている。



どこまで語っても終わることがない。

もちろん直接お会いしたことはないのだから、私などは面識のある方には思い入れが適うわけがない。


でも、高校生の時に「松原正樹」という存在に出逢って以来、35年間ずっと追い続けてきた一人のちっぽけなファンとして、この日子の文章をどうしても丸1日かけて書く衝動を自分で止めることができなかった。

まるで完結できてず、そしてただの羅列でしかないこんな駄文の長文だが、その一ファンが悲しみにくれながら書いた弔辞としてどうしても記したかった。


松原正樹という稀代のギタリストは天に召されたが、その残された功績はもご本人も絶対に日本の音楽界の「至宝」だった確信する。



松原正樹さん、ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。





Commented by HappyWind at 2016-02-11 22:57 x
2月に入ってから、奥様のFacebookが気になっておりました。
私たちの、日本人の、心を育て慰め元気づけてくれたギターサウンドが・・・と思うと、喪失感が大きすぎます。

たくさんの情報をまとめて頂き、感謝ですし、松原さんへの愛情が伝わってきます。
Commented by sammag at 2016-02-12 20:49
> HappyWindさん
本当に喪失感が日に日に増していきます。

でも、これからもずっと聞き続けていきます!!
Commented by 蜂谷 at 2016-02-17 05:42 x
松原正樹さん追悼の記事をずっと読んでいて、まともな文章にあたりましたので感謝の意味でコメントします。わたしが松原正樹という名前を覚えたのは1978年です。山崎ハコの「流れ酔い唄」というLPに入っていた「夜明け前」という曲での演奏でぶっ飛びました。もし聞かれたことがなければ是非。
数々のヒット曲で聞けるのは、人間国宝級の職人技だと思うのですが、これは完全に越えているとわたしには感じられます。
by sammag | 2016-02-11 21:54 | MyFaivoliteMUSIC♪ | Trackback | Comments(3)

人生は旅。旅は人生。日々は扉の向こうとこちら側。キャンプ・食・星・日常を綴る、アウトドアライター・キャンプブロガー・JACインストラクター/講師・温泉ソムリエマスター/温泉健康指導士・星のソムリエ® ・exite公式プラチナブロガー SAMの人生キャンプブログ


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