
かかずゆみさん、三石琴乃さん、川村万梨阿さん、そして銀河万丈さんというスゴイ4人が、天女像前でオープンで演じられるのですから、これは行かなければ!
特に銀河万丈さんは生声を聞いたことがなかったので、こんないいチャンスは無し。
ギレン・ザビはもう自分たちの中では実在の人物みたいなものですから。

絵本を使ってはいるけど、読み聞かせとはまた違う、「声と物語の鑑賞会」。
声優さんは昔から自分の中での特別な存在。
はっきり言えば、男優さん、女優さんよりずっとずっと魅力的なお仕事。
このことについてはまたの機会に。
とても素晴らしい魅惑的な時間でした。

三越本店。
ここにも思い出があります。
日本最大の某ショップを作った時には連日詰めましたし、そのブランドの社長を案内したし。
アパレルに従事するものには伊勢丹本店とともに特別な存在ですから。

その真ん前にあるこのビル。
今だから言ってしまいますが・・・ここにもしかしたら勤めていたかも。
10年前のこと。
99%決まっていたのですが・・転職ではありません。
いわゆる転籍。
人生何があるか分かりませんよね。
でも、今が一番大事。

この道、よくお昼ご飯を食べたなぁ。

一番行ったのは「利久庵」です。

会計(帳場)に主人が座るクラシックスタイル。
なじみのお客さんが多いですから。
この日もちょうど「い組」の棟梁がいらしてました。

更科のような白い蕎麦。
この一枚の変わらぬ満足感。
それが老舗の力。


江戸、昭和、平成の三つの顔こそ日本橋。

立ち並ぶ「COREDO」が平成の象徴。

日本橋を渡ることにします。
今日、ちょっと気持ち(財布)に余裕があったら「天松」に寄ってもよかったかも。






日本橋COREDOの昔は東急日本橋店。
その昔は百貨店の元祖「白木屋」。
若いころは東急百貨店の営業もやりました。
渋谷の担当でしたけど、この日本橋にも少しお世話になりました。
開店時のメロディーが「お江戸日本橋」だったなぁ。

日本橋タワーも完成。
その1F部分には「はいばら」。
紙といえばはいばら。
実家が製本業をやっていたこともあり、はいばらはもう雲の上の存在。

日本橋の再開発はどんどん進みます。
向こう側は日本橋高島屋。
※どうでもいいことですが「高島屋 東京店」が本当の名前。
ここにいい感じの昭和初期の中華料理店があったんだけど。
あの店はどうなるのだろう。

そう、日本橋の名物だった「特別食堂」も今は本館に移設中。
この特別食堂は、「百貨店」ではなく「デパート」という場所が本当に特別であった時代の象徴。

この車寄せがまた特別。
サービスマンの妙味はいまだ変わらず。
社長本人よりも、社長の運転手の顔を絶対に忘れない、なんていう話も聞きました。
この日本橋高島屋には何度となく販売の応援に行きました。冬はほんとに忙しかった。

その目の前が丸善。
こちらにも大変お世話になりました。
それこそ某ブランドでの複雑なる関係ではありましたが、とにかくこちらの方々は紳士でいつでもスマートに応対してくださりいいイメージばかりです。

これですよね。
以前は屋上のゴルフ練習場の小さなクラブハウスで、これがもう日本橋七不思議的な存在でした。
どうしてそんなところに、という感じ。
しかし、あれがまたよくて。
非常に微妙なのは「早矢仕ライス」の元祖であること。
ハヤシライスの元祖とは言ってません(笑)

今は3Fのこのカフェで食せます。


オムハヤシライスにしてみました。

何か違う。
何かが、違う。
味はむしろ美味しくなっているような気がするのに、あの満足感は何処・・
この感覚は、再開発に必ず付き纏うものかも。
なかなか郷愁というものは拭い去れないものなんだろうなぁ。

1階のメンズショップも様変わりしました。
丸善紳士、もう70アッパーになってしまったかな・・

この丸善に、自分の本があるというのがとても不思議。
つるの剛士さんをはじめ、田中ケンさん、寒川一さんと並んでいるのも不思議。
いやいや、丸善に並べて頂けたのだから、光栄の極みです。

あれだけよく歩いた日本橋。
日本橋に限らず、最近すっかり「歩いて」いないかも。
今日のような余裕ある時間はとても大事な気がします。
感受性を高めるための。