
私自身、書籍を上梓できるようになるなどついぞ30年前には塵にも思う浮かばなかったこと。
それが幸いにも夢かない構想を練る段階となったとき、ある二人の人物からの影響を隠しえませんでした。
その二人とは「徳大寺有恒」さん、「山本益弘」さん。
この二人の書籍に若き頃心服し、分野こそ違えど「ガイドブック」の機軸がなんたるやをその当時存分に教示してくれました。
その機軸とは「モノサシ」です。モノサシなくしてガイドすべからず。
そしてそのモノサシは、単に表面上をなぞらえず、対象となるべくもののインサイトをどう抉るかそのためのものでもあります。
ガイドブックの上梓としては天と地の差があれど、また一度も会うことすらなくても、私にとっては一つの目標であり、その慧眼を尊敬してやまず、自信の発刊同年にまさかの天上人となってしまうことになるなんて・・・一人感慨に耽っています。
そこで、徳大寺さんの「間違えだらけのクルマ選び」から極めて印象深く、また結果的に自身の所持する車となったものを含め、「間違いがないクルマ」を振り返ってみようと思います。

さすがに初刊からは読んでいません。初めて読んだのは確か85年。ここから一時休刊となるまで20年毎年読み続けました。
もちろんクルマが嫌いではありませんが、マニアでもエンスーでもないので、むしろ「本」としてとにかく読み、読み返すことをずっとしていました。
クルマのガイドブックというよりはむしろフィリップ・コトラーの書を読むのとなんら変らず、ものの見方考え方を学ぶためであったかもしれません。
とはいえ、クルマという文化はやはりオトコにとっての一つの嗜み。一方ではファッション・ライフスタイルの指南書であったともいえます。

独身時所持していたクルマを諸事情で止む無く手放してから、結婚を期に今一度所有した最初のクルマ。
それが「FORD FESTIVA SX1.3 キャンバストップ」
これを選んだのはまさしく「間違えだらけのクルマ選び」を熟読した結果だったはずです。
決してこのクルマを徳大寺さんが絶賛していたとかではなく、本を通じて書かれていた「クルマ選びはライフスタイルの反映」、この文脈に従った結果であったと思います。
やはりこの頃何が一番必要であったかといえば、「二人の生活」を如何に彩ってくれるかでした。
毎週の街乗りになんら不便ないコンパクトな2ドア。少々の旅となればフルフラットになり荷物をたくさん載せられる後席。若さゆえに気持ちよくキャンバストップを開いて海風や夜空を愛でる。
こんなことを実現してくれたからです。
ご存知の通りFORDというのは名ばかりのマツダ製。しかしどう考えてもこのバタくさいスタイルは当時の日本社メーカーのものではなく、FORDのエンブレムがもたらすスタイルは今の時代でも恥ずかしくないものです。

徳大寺さんはブリスターフェンダーから立ち上がるこの台形スタイルを評価しており、私もこのリヤビューがとても好きでした。
また当時としてはこの「ベイブルー」という濃紺が全く他の車に見られず、この押し出しの強い色をもってすれば隣にクラウンが並ぼうが、ベンツが並ぼうが全く卑下することがなかったこともよく覚えています。
エンジンの非力さと、キャンバストップによる剛性の弱さはあったものの「それがどうした」といわんばかりの、切り捨てるべくもの、このクルマにしかないもの、それが実にハッキリしていと思います。

これを徳大寺さんは「パッケージデザイン」と称しており、これはその後の書評でも根底を為す一つのテーマで、そもそも先ほどのモノサシの中心に最初に据えたVW GOLFはその最たるものだったのでしょう。
当時風潮的にはバブルの兆しもあり、「高いクルマがカッコウいいクルマ」と世間で言われ始めたころ、「そんなことよりバランスに優れ、乗る人のライフスタイルの主張と一致していたほうがずっとカッコウイイ」などと言っていたのはこの人だけだったはず。
私はそれゆえフェスティバに自信を持って乗っていたし、実に豊かなクルマのある生活を送っていたと思います。
真夜中に妻を誘い、ほんの数十キロ走ったところにある大きな大きな桜の木の真下にフェスティバを停め、一気にキャンバストップを開け、二人の頭上に桜の花びらが舞い散ったあの瞬間、クルマがまるでシアターにでもなったかのよう。
クルマのある生活の真髄をその時に知ったような気がします。

フェスティバを買うになんら迷いはしなかったものの、同時に大きな魅力を感じていたのが「いすゞ・ジェミニ」。
特に「ZZ-SE ハンドリング・バイ・ロータス」には完全に心酔していました。
このクルマに関しては徳大寺さんもたしかべた褒めで、やはりパッケージ力を評していたと思います。

ジウジアーロデザインのこの車体は本当に非の打ち所なく、今でこそ角ばったデザインは主流でないものの、よくイラストなどになる車の絵はこのバランスそのもので、然るに「究極のクルマのカタチ」ではないかとも思うのです。
従姉妹が所有していたので何度も乗る機会があり、そのたび思ったのは私が以前乗っていたセリカXXなど遠く及ばぬ「スポーティー」さがあり、小気味よいとはまさにこのことと感心しまくったものです。
それはあのコマーシャル「街の遊撃手」が表現したのがウソではないと。
それまで多くのクルマが「日本のクルマ」でしかなかったのが、このいすゞ・ジェミニの登場で初めて世界の伍したのではないかとさえ思えます。
もちろんいわゆる一般車としての範疇です。
解き放たれたかのようなグローバル感があった唯一のクルマではなかったかと。
いかんせん当時の日本では社会的にグローバルではなかったことと、いすゞも乗用車作りに長けていなかったこともあり、カローラのような身の丈の安心感には太刀打ちできず、ニッチにしかウケなかったのは至極当然の結果です。
しかし、このそれまでではありえないようなロータスグリーン、こんな色を受け入れた当時のニッチャーたち、私は尊敬します。

フェスティバを手放す理由もなく、実に満足なカーライフを長く送っていたのち、やはり転機になったのが最初の子供が生まれてからしばらくのこと。
当時やっと時代的にもチャイルドシートが当たり前となったこともあり、2ドアの限界を感じることに。
そこで考えたのは5ドア。
ジェミニに魅力を感じたこととは全く別に、自分たちのライフスタイルは今後間違いなくアクティブになると感じたゆえに4ドアの選択はまずないと。
またちょうどこの頃に「RV」の時代がやってきており、世の中的にもワゴンが登場してきていました。
特にカペラカーゴはそれまでのライトバン=商用車のイメージを覆す「ステーションワゴン」のハシリだったと思います。
最近この頃のBE-PALやガルヴィを見る機会に何度か恵まれ読み返して見ると、その中に実にこのカペラカーゴが何度も登場していました。
前から見るといかにも日本車ですが、このリヤビュー、特にグラスエリアはそれこそFORDかと思うようなアメリカン。
徳大寺さんの書評をはっきりは忘れましたけど、確か、荷物を多く持って移動するのは今後の若者の生活観であり、それをかなえるに一番相応しいクルマ、的なものだったと思います。
一方でこのクルマの登場が、自動社界の大きなエポックになったと思います。
「SUBARU LEGACY ツーリングワゴン」
何がエポックであったかといえば、日本車で初めて「クラスレスカー」が登場したこと(もしかしたらそれ以前のクラスレスカーはジェミニだったかもしれません)。
その証拠かどうか、ほとんど国産車を所有しない徳大寺さんが急いでこのレガシーを自分のクルマにしたのも何かを感じさせるものでした。
トヨタを頂点としてクルマヒエラルキー社会は極めて当たり前で、成功者が高いクルマを乗り、庶民は大衆車という「位置付け」に縛られていた中、そういうこととは無縁に「この車に魅せられたからこれに乗ってる!何が悪い」みたいな強烈な自己主張ができ、それでいて車の基本性能が高く、さらにステーションワゴンというこの先のライフスタイル志向にマッチングしたスタイルを得て、それまでの車社会の呪縛が解き放たれた、そんな感じだったかもしれません。
暴力的なターボの加速、地獄のような?燃費の悪さはあったものの、外車が横に停まるとウチのクルマはみすぼらしい・・みたいなものはこのレガシイの登場で払拭され、その登場を境にクルマ生活のあり方が大きく変ったような気がします。
話を戻すと、レガシイは魅力あるものの、ダーク系一辺倒の色がタダ一つ好きじゃなく躊躇したところに現われたのが「SABARU IMPREZA」。
もう、その登場に小躍りしました。
しかも「スポーツワゴン」というステーションワゴンよりも明らかにヨーロッパの5ドアのスタイルを擁し、レガシイほどのクラスレス感はないものの、むしろ新しい生活の予感を感じさせてくれるものがあり、ジェミニ以来のスポーティミドルカーにワクワクしたものです。
それにそれまでのスバルではありえなかった「赤」が投入され、むしろこれがインプレッサのスポーティー感にマッチし、後のラリーカーレプリカが出るまでは完全にイメージカラーになったと思います。
インプレッサの乗り味はレガシイのプラットフォームの流用なるも、レガシイ以上にボクサーエンジン&四駆のありがたさを大地から拾うフィーリングがあり、街乗りの交差点を曲がる時でさえミッドシップのごとくスパっと切れ込み、ハンドリングのダイレクト感とクイック感はスポーツカーかと思うほど。それを支えるシートがまたよく出来ていてフワフワの日本車とは全然違うホールド性があり運転疲れがかえってありません。
逆に乗り心地は硬く、ハーシュネスがきつかったのが難点。
徳大寺さんもまたこのインプレッサをレガシイに継いで自家用として所有しており、やはり何らかの魅力を感じていたようです。
やはりインプレッサの項にも書かれていたのが「これからのクルマに必要なのは、新しい生活への予感」という示唆。
今後はそういうクルマ選びあってこそと「間違いだらけのクルマ選び」から感じ、このインプレッサを得たことで始めることとなったオートキャンプ。
つまり、「間違いだらけのクルマ選び」がなければ、本年の自分の書籍上梓はありえなかったということです。
やたら長くなったので、この話は続きます。
次項は、シルビア、プレリュード、RAV4、ランティスなどなど・・・

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