
ラーメンはもうこの時代多種多様だし、どこがよくてどこがダメではなく、どこでもまずまちがいなくおいしいラーメンは食べれるようになりました。
では、自分の好きな店、これが何かといいますと「おいし過ぎないラーメン」を出してくれるところです。
これ、誤解されちゃうと困りますけど「おいしくない」と言っているのではありません。

お店の場所は渋谷。よく「センター街」にあると、この店のことを言われていますが、むしろGMOや他の高層ビルに挟まれた、飲食としてはかなり意外な場所に立地しています。
なので、目的が無い限り通りすがりで入ることはないでしょうから、ご主人はここを選ぶに当たって「自分の味で呼ぶ」そう思ったのではないでしょうかね。

その通り、みな呼ばれた人ばかり。呼ばれた人が集まってきています。

この緊張感。
無駄口を全く言えない雰囲気。それはプレッシャーでそうなっているわけじゃないです。その証拠にラジオなんかは流れていますし。
でも、ここに来たらまるで修行僧にでもなったかのごとくまず自分自身がストイックになり、よい意味で食べる準備と姿勢が整います。
この雰囲気、荻窪にあった「丸福」、そして鹿児島の、女性だけでまかなっている「のぼる屋」を彷彿とさせますね。
これが欲しいんですよ!この空気。もうね、「食べる」悦びに打ち震える瞬間。カウンターのお店は特に。
私がそうだっていうのではなく、ここに座っている20代~30代のお客さんがその空気を創っているから嬉しいじゃないですか。
無想転生のような、そんな雰囲気のご主人と奥様が無駄ひとつ無い連携で作っている姿がまた凛々しい。

なんというんですかね、なんでもかんでも乗せちゃえのラーメンはアミューズメント、このラーメンのビジュアルはインテリジェント、知性がみなぎるバランスのビジュアルです。
この並び方に意味を見出せ、といわれたら、10枚のレポートは書けるくらい(笑)のメッセージがすでにここにあります。

これは、竜安寺の石庭か!?
この麺の波の打ち方の美しいこと。これで5枚は書けそう(笑)

さ、見てばかりいて立ち向かわないと失礼と、カウンターにおいてあった蓮華をドンブリの端に置き・・・
んん??? そうだったのか!!!!!!
なんで蓮華が最初から入ってこずに、テーブルにおいてあったのかを理解していなかった、いやちゃんと想像していなかった!!しまった!!
もし最初から入って目の前に出されたら当初のあの世界観が丸崩れだ。
そのくらいバランスが崩れる。
利便的にカウンターに置いてあるくらいにしか思っていなかった浅はかさを恥じる。
※フツー、ラーメン食べながらこういうことを思う人のがマレです(笑)

このひとつの橙が中心に置かれると華やかさが違う。それも決して華美ではない。このバランス感覚と全体構成にノックアウト。
そして・・・
よーく見れば分るが、この小さな一片を、丼に乗せる瞬間に「折って」いるのです。
これで、香りの出方が全然違うのです。
中華料理で、にんにくやしょうが包丁の背で叩いて潰すのと全く一緒。
この瞬間、香りのカプセルが割れるからです。
魚介トンコツがどうだ、とか、三河屋製麺がどうとか、そんな話はここではどうでもいいです。
考えつくされたバランス。差し引きを思い描く創造性の産物。
これが「おいし過ぎないラーメン」。
対極の「おいし過ぎるラーメン」はおいしいものを足し算にまた足し算、そして結果どこかオーバーフロー。
だから・・・
その問い掛けに応えられる素養を以って食させていただくのが、食べ手としての悦びです。
【はやし】以前行きました。
ホント一瞬わからない場所ですね。
食べたくなりました(笑)


