まずは「岩手日報」の掲載記事を転載します。
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山田町職員のユニホーム製作 山田高と三陽商会
山田町織笠の山田高(関川繁雄校長)の2年生7人とアパレルメーカーは、同町役場の全職員分のユニホーム230着を製作した。復興に向け最前線で歩む職員共通のユニホームで、同校生らが24日、町に寄贈。デザインにこだわりながら実用性を重視するなど、生徒や町職員の意見を細部に反映させた。
同町はこれまで数年ごとにユニホームが更新され、全員が同じ物を着用することがなかった。早速、袖を通した佐藤町長は「一目で町職員と分かる。着心地がいい」と感謝した。
ユニホームは「山田高校プロジェクト」と銘打った同社の復興支援活動で製作。生徒を中心に4回の共同ワークで素材や色を決め、同町大沢にある同社工場「岩手サンヨーソーイング」で生産した。同町の海を思わせる青色を基調としたスタイリッシュなデザインで、右袖にオリジナルデザインの町役場エンブレムを付けた。汚れにくく、帯電防止機能に優れ、上下合わせて14のポケットがあるなど機能性も高い。
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難しい話はともかく、なぜにユニフォームかといえば、あの震災の危急のとき一番活躍されたのは役場の方々だったかわけですが、過去の当たり障りのない制服では誰が役場の方か一目では分からない。
そう、一般的には消防署や警察官、みな制服が大きな目印になるわけです。
役場の制服ですからある意味町のシンボル的な存在。災害時はもちろん、町の皆さんから「これがわが町の役場の制服」としっかり認識してもらうこと、これ実は町全体の士気にもすごく大事なことのような気がします。
そしてそのデザインを担うのは次世代の山田町を支える高校生たち。役場が役場手配の制服ならどうしても自分たちの制約に縛られることもあろうかと思いますが、まっさらな高校生たちが、ましてやファッションデザイナーというひとつの社会実践を手がけながらということは、「先だけを見た」モノづくりが可能になったのではないかと思います。
そしてデザインされた新しいシンボルは山田町の美しい海をモチーフとしたマリンブルー。これなら従来のありがちなベージュ系と異なり、若々しく、そして制服として判別がしやすく、さらには「わが町の」という思い入れをもてる出来事として山田町の皆さんの胸に刻まれたと思います。
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このプロジェクトがスタートする際、
「元の町に戻すのではなく、新しい町にしたい。」
という発言があったそうです。
私はほんのわずかですが福島のキャンプ場の応援をさせていただきながら、そのオーナーさんたちが訴えたことも全く同じだったことに気づきます。
「過去を見てもしょうがない。この先をみて歩むと決めた。それが自分のチカラ。」と。
復興という言葉は「同じものを興す」と書きますが、実は覆興=過去を覆し(過去を破壊する意味ではありません)、新しい未来を興す、なのでしょうか。今の原発に関して行われている運動も「覆興」なのでしょうか。
そしてこのプロジェクトは「服」が興した、「服興」だったのかもしれません。