彼女たちの主な活動は仮設住宅地への花の植栽、家庭菜園の開墾、保育園の移設のお手伝いだったそうです。花の植栽というのはこの厳しい冬を乗り切った後に迎えた春、少しでも花が生活に潤いをもたらしてくれるよう願って行われたそうです。なるほど。そしてなぜ家庭菜園かというと、仮設住宅はかなりの高台に設置されていて買い物に出かけるのも実は一苦労で、出来るだけそれらを自給自足できるような体制を各所で取り組んでいるそうです。しかしそれらを手伝ったことで彼女たちが自分たちの無力さに多大なショックを受けたとのこと。というのは家庭菜園といっても結局それらの野菜を責任もって育成するのは知識を習得した専門家でできること。ちょっとした土堀や種まきは出来たかもしれないけど、何を植えたらいいのか、どう育てるかのを全然知らない自分がいることを認識して「行けば何とかなるさ」という気持ちから「行くだけではダメだ」と考えを改めたのだそうです。そして一番のインパクトは保育園の移設での経験だそうで、当初震災直後は土木もそれこそ猫の手も借りたいという状況だったので多数のボランティアを必要としていたものの、すでにかなり整備が進んでくればそれは専門事業者による専門作業。ボランティアでは手を出せないことばかり。やはりそのアティチュードが事前にはなく「行けば何とかなるさ」の気持ちを覆されてしまい、想像を絶する光景を目の前に何も出来ない悔しさを噛み締めたという話です。私も彼女たちと全く同じです。全然そんなこと想像もしなかったです。ボランティアの力は彼女たちが落胆するほど小さいものではないはずですが、ひとつの事実として、復興が進んでいく段階で小さな労働力から専門家よる大きな労働力に傾斜配分されていくことは認識しなければいけないのかもしれません。たとえそうであってもボランティアの役割はただ単なる労働力ではないはず、彼女たちが現地にもたらした有形無形のものは大きいでしょうし、何よりもこういう見聞を残してくれたのが大きいです。彼女たちが感じた無力感を少しでもたくさんの人が共有することは、その無力の想いの全く逆なのではないでしょうか。
キャンプなどしたことがない彼女たちはシュラフを上手く畳めなかったようで、行きよりも収納が太って帰ってきました。しかし、その一回り大きくなったことに大きな意味が投影されているようにも感じました。
まちがいなく女子大生の方々は役に立ってこられたはずですよ。
まずそこへ赴く気持ちがすばらしいです。
何も出来ていない自分を反省しました。
もちろん作業の選り好みは良くないとは思いますが
『それなら私の得意分野だから手伝いたい!』って人がいると思うんです。
とても素敵な学生さん達ですね!
春になって花が咲いたら仮設住宅の方はきっと学生さんたちの事思い出しますよ!
シュラフが上手く畳めなくても大丈夫!
私もいまだに畳めません(汗)