会社の「社長」、組織の「会長」、世の中にはトップを示す言葉がたくさんありますが、
「リーダー」という呼称はそれらに冠されるものとは少々違います。
グループや組織の中の盛り上げ役であり、それなのに自分が出過ぎることがなく、常に周囲に気を配る存在。
人格者であり、信頼のおける頼もしい存在にしか「リーダー」の称号は与えられない・・・
LICAさん。
「リーダー」と言ったら、LICAさんを示す代名詞であったと思います。
全ての人から愛され、すべての人から頼られたLICAさん。
その生涯を先週閉じられました。享年60歳。
※画像はkuwa-ponさん撮影 ヒロシさん提供
LICAさんがリーダーであったのは「UFD」。
UFD=UNIFLAME DUTCH OVEN CLUB の略称。
2001年に誕生しました。
ユーザーが立ち上げ、メーカーがそれを支援する、今でいうところの「共創」関係の先駆けとして生まれてきました。
それまでの鋳物とは違う、日本のプレス技術の粋を集めた黒皮鉄板の新しいダッチオーブン。
その魅力に惹かれたキャンパーが入会し、様々な情報交換であったり、日々の活動を報告したりをして大変盛り上がりました。
このクラブのWEBサイトを運営してくださったのもLICAさん。
とてもシンプルにして洗練されたサイトでした。今思えばSNSの走りでしたね。
このUFDからはユーザーとメーカーが共同で商品を生み出す仕組みがあり、そこから実現したのが画期的な「モーリーリフター」。
私がLICAさんと初めてお会いしたのが2002年の1月。
今はもうない日本最大のキャンパーのグループ「野宴会」の東日本新年会で。
それはそれは大きな新年会で、なにしろ渋谷の某ホテル宴会場を貸し切ってやったくらいでしたから。
2001年からネットデビューした私はいわば新参者。
右も左も諸先輩だし、リアルで会うのは全く初めての人ばかり。
人見知りなのでテーブルに着いても周りの方とは会話もできずにうつむいていたら、
「どう?楽しんでる?」と違うテーブルから満面の笑みで話しかけてきてくれたのがLICAさん。
まったく一度も会ったことがないのに。
嬉しかった・・・今でもあの時の嬉しさに変わりがありません。
その日のビンゴで、LICAさんは一番最初にリーチしたにもかかわらず全然ビンゴ出来ず、
ちょっとかすれた大きな声で「いいかげん足が疲れちゃうよ~、なんとかしてよ~もう!」と言い放つと会場の爆笑を誘っていました。
「ああ、この方は人気者なんだ」それが私の最初の印象です。
その年の秋、ユニフレームネイチャーミーティングにて再会。
やはりLICAさんはその中心にいました。
この時だったと思います。
「LICAさんって、なんでLICAさんなんですか?女性っぽい名前なんで」と聞いたのは。
おそらく何人となく同じ質問をされたことでしょう。
「それはね・・」と、テントまで連れて行って教えてくれたヒミツ・・
いや、ヒミツではないですね。この質問をした人はたぶんその答えをすぐに見せてもらっていると思います。
この日の夜の抽選会。
新年会と同様LICAさんは待ちぼうけでしたが、今度は最後になればなるほど賞品のグレードが上がるので、ゲットしてこの通りの表情。
「いやー、いいもんもらっちゃったよ!」
実は・・これは私が「もっと喜んでください!」とカメラの前で要求してのポーズ。
それに嫌な顔ひとつせずノッてくれたサービス精神満点のLICAさん。
「いまのでいい??大丈夫?」
この夜も新年会の時と一緒。
私がオフ会にはまだ慣れていなく、焚き火の前でモゴモゴしているのをわかってくださり、
いち早くそばにきて「ねぇ、SAMさんはダッチオーブンでどんなもの作るの?」とまたまた笑顔で話しかけてくれました。
その後タセさんを交えて話が盛り上がり(この3人はある共通項があることが判りました)、オフ会の夜の楽しさというものに導いてくれたのもLICAさんだったかもしれません。
翌日、「これ食べてみなよ」と差し出してくれたのは昨日から仕込んでいたという、鶏のスモーク。
とてもおいしかった。
これをヒントにして思いついたレシピがあり、それは以降私のレシピでは定番になっています。
ネイチャーミーティングが行われた翌年。
NM自体が2年に一度ということがあって、その間の年にちょうど交互に行われることになった「UFDミーティング」。
初めて行われたのが2003年。
場所は山ぼうしでした。
今でこそ山ぼうしはオフ会のメッカですが、おそらくこのUFDミーティングがその火付け役と思われます。
参加した人にはこういうものが配られました。
このTシャツは今でも開封せずに取ってあります。
実はLICAさん、UFDでは2代目のリーダー。
このUFDミーティングの夜にその引継ぎ式が行われ、初代Gaachanからバトンタッチされています。
Gaachanは創出の功労者であると同時に、LICAさんを支える存在に。
年齢的にはGaachanよりだいぶ上なのになぜ禅譲されたのかといえば、
それこそ冒頭に書いた「リーダー」はだれがなるべきか、その資質を兼ね備えている人は誰なのか、結果そこへ回帰したからなのかもしれません。
だから誰もが納得していたはずです。
Gaachanがあの日言った一言は忘れません。
「だって、LICAさんしかいないでしょ」
上の写真は、初代と2代目が20インチダッチオーブンのリッドを手にしてその団結を示している1枚です。
このころ、キャンパーがよく利用していたのが田町にある「C・LABAR」。
店主はタメさん。我が家も私個人も本当にお世話になった店です。
キャンピングカーでの営業に始まり、紆余曲折の末店舗として構えたお店。
このお店を開店するにあたって泊まり込みで内装を手伝ったのはLICAさんたち。
このカウンターの1枚板を磨いて作ったのはLICAさん。
もちろんすべて無償です。
この写真はヒロシさんが送ってくれた1枚の写真。
黙々と20インチで料理を作っているところ。
LICAさんの料理はどれも作り方が難儀なものではなく、それでいて洗練されているものばかり。
それはユニフレームダッチオーブンの良さを誰よりも生かし切った調理と選択だったように思えます。
これは2010年榛名湖の1枚か・・ ※画像はkuwa-ponさん撮影 ヒロシさん提供
ユニフレームダッチオーブン生みの親と、育ての親。
UFDの両輪。
たしかに「LODGE」のダッチオーブンは伝統もあり誰もが認めるところ。
しかし日本におけるダッチオーブンの普及は間違いなくこの黒皮鉄板のダッチオーブンがあったからです。
これは誰が何と言おうと事実です。
その先頭を切って楽しさを説いたのはUFDであり、LICAリーダーです。
この事実を曲げることは誰にもできません。
UFDでプレートを作った時に私が得た番号は「096」。
登録者数は年を追うごとにつれ増加し数千人ににまで登りました。
そして2010年ころを境にUFDの活動は緩やかになります。
一つの理由は2011年の震災。
そしてもう一つが・・・
こちらもヒロシさんから頂きました。
おそらくLICAさん晩年の記念写真。
すでに大分体調を崩されていたと思います。
それでもUFDのメンバーの前ではリーダーであることは変わりません。
みなさんに囲まれるように。
2014年の夏、私は森の感謝祭へLICAさんをご招待しました。
体調のことは存じ上げていたので、無理は承知の上、でもいつかあの2002年の恩返しができたらと、お返事はとにかくお誘いだけさせていただきました。
あの、モゴモゴやっていた人見知りが、10数年経って人を集める側になりましたよ、というご報告をさせていただくために。
すると・・・本当に驚きました。
「参加」と表明されたのです。
いろいろな意味で難しいはずなのに、「参加」と返ってきたのです。
あの時と一緒。嬉しかった。ただ、嬉しかった。
無理を押してまで相手を思いやる、それがLICAさんであり、リーダー。
しかし、その当日来ていただくことは適いませんでした。
当然です。それができるようなご体調ではなかったのですから。
「SAMさん、参加表明してましたが、転居日と重なってしまったため残念ながら今回は参加できません。次の機会がありましたら参加したいと思います」
不参加なら不参加で放っておいてもいいのです。
でもこうやってご丁寧にちゃんとメッセージを送ってくださいました。この気遣いに頭が下がります。
これが私としてのLICAさんとの最後のやり取り。
次の機会。
そう、次の機会。
LICAさんと親交のあった方みなさん「次の機会」をきっと信じています。
UFDというサイトは閉じましたが、UFDは続いています。
リーダーはLICAさんのまま。
先週の土曜、どうしてか全くわかりません、急にダッチオーブンのレシピをアップしなくちゃと。
そして4日連続レシピアップ。
偶然です。本当に。
でも、これが手向けになったでしょうか、リーダー。
これからもずっとUFDを大切にします。
LICAさん、安らかにお眠りください。
リーダー、本当にありがとうござました。
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この文章はご家族のご許可を得て公開、書き記させていただきました。
過日、ご葬儀はご親族の皆様で執り行われております。
併せてご報告申し上げます。