ねこと一緒に暮らした方なら、ねこ独特の不思議な行動として「
ふみふみ」を目の前でご覧になった方がほとんどではないかと思います。
これぞねこ飼いの特権、とだけ言ってしまったらそれは間違いかな。
だって、そのあまりにも可愛く癒しの行動には、どこかはかない哀愁が潜んでいるものだからです。
別名「ミルキングステップ」。
おかあさんのお乳を無意識にねだる行動。
ふみふみはお乳を出易くするアクションで、その刷り込みが成猫になっても蘇る、いわばマザーコンプレックスのひとつでしょう。
いまはいないおかあさんを擬似的に思い出す行動・・・なんと切ないことなのか。
その切なさも手伝って、このしぐさを見ているとなぜか胸がキュンとなってしまいます。
我が家の長男猫「ゆめ」は、毛布がふみふみポイントのようらしく、だからかあまり夏場に見れることはなくほぼ冬だけにふみふみをします。
しきりに、しきりに、やめようとしません。手のひら(本当はそんなものはないのですが・・)を軽くグーパーをしているが如く、いっしょうけんめいステップをします。
印象的なのはそのときの目。
そもそもクロネコは本来の優しい性格とは裏腹に、顔つきがどうしても「ワル顔」になってしまいます。そしてこのふみふみのときにそれまでにはないくらいのワルイ顔になります。いわゆる目が三角という状態。
どうもこの目つきこそ、ミルキングステップが特別なものである証拠ではないでしょうか。
これはワルイ目ではなく、「一生懸命」の真剣そのものの目。
一生懸命お母さんを思い出しているのか、もしくは「会いたい」「会いたい」と真剣なおまじないをしているのか・・。
だからこそかなわぬことであるゆえ、とてもとても切なくなってしまいます。
本能的な行動であってそこまで思惟を巡らせていると想像してしまうのは少し行き過ぎかもしれませんが、少なくともこのシンプルでうそのない一生懸命さを見ることから、ともに生活する絆をさらに強めたくなっていきます。
柔らかいものであると毛布ではなくともふみふみしますしので、対象物が擬人ならぬ擬猫の肌感覚であるかないかだけなのでしょう。
我が家の姫「りん」は今のところこのふみふみをはっきりしたことはありません。全ての猫がふみふみをするわけではなく、どのタイミングで親離れしたのか(野良猫とペットショップの猫ではかなりそのタイミング・期間が違うでしょう、おそらく)などにも拠るらしいです。
ただ、一度だけフリースの袖口にむかって小さなステップことがありました。
もしかしたら何かのきっかけでふみふみをするかもしれません。